プリー。ジャガンナートのお祭り。
プリーにある、ジャガンナート寺院。
ヒンディーの4大聖地のひとつであるという。
インドの神様や、宗教に関しては、記述しだしたらきりがないほどの多様性を持っている。
それなりの文章を綴ろうと思うと、いろんな文献を引っ張り出さねばならんけど、ひとつ単純にいってしまうと、インド=ヒンドゥー教と、そう事は簡単ではない。
イスラム教とヒンドゥー教は必ずしも対立してないし、イスラムの影響を受けてスィク教が生まれたり、キリスト教があり、ジャイナ教あり、ユダヤ教あり、そして仏教あり。
もはやルーツなんて、はっきりわからんのではないだろうか。
ジャガンナートはもともとプリーのあたりの土着の神が、ヒンドゥー教の神のクリシュナと結びついた(らしいっす)。
なぜかここの神さんは3兄弟で、ジャガ様のほかには兄ちゃんのバルバドラ様、妹さんのスバドラー様がいるのである。
ご神体は、一見すると丸太に顔が描かれた、なんとも愛らしい神さんなのである。
普段は寺院の中でじっとしてはるところ、年に一度、それぞれ三台の山車(だし)に乗り、メインロードを3キロほど移動し、グンディチャ寺院に一週間滞在し、再びジャガンナート寺院へ戻るのである。
この山車を引っ張る祭り(ラタ・ジャートラ)が、圧倒的熱狂をもって行われるのである。
そしてこのスタイルは、京都の祇園祭の原型とも言われているらしい。
英語ではジャガンナートは、juggernaut(ジャガーノート)と表記されるが、転じて「恐ろしい犠牲を強いる絶対的な力や存在」を意味する単語ともなっているという。(ウィキペディアより)
多くの道は通行止めとなり、さらにあまりの熱狂のため危険が生じる可能性があるということから、われら日本人軍団は20数人の徒党を組み、息巻いて山車が引っ張られるグランドロードへ歩きで向かった。
近づくにつれ、たくさんの人々が同じ路地を同じ方向に押し出されるように歩いていく。
盛況なみやげ物屋、路地の中の流れに逆らう牛。
山車が見えてくると、人々の密度は最高潮に達した。
山車の上にはあふれんばかりのたくさんの僧侶がのり、ところどころで何かを謳う声が聞こえる。
そこにあったのはまさに狂信。
『ラタ、ジャートラの時期は無礼講が許されるので女性は注意』
そんなガイドブックの欄外に載っていた記事を思い出した。
だからこその集団行動だったし、4人の女性は男性の中に守られるように移動するつもりであった。
だけど、人の群れと波は圧倒的な力と、狂気を生み出していた。
既にこの日、圧迫やドミノ倒しで10人の人が亡くなっている。
山車の周りから人の渦のなかへ、我々一行は引きずり込まれていった。
そして見渡す限りの人の渦。すこし向こうに狂信的なインド人の集団が大声を上げている。
「あそこはマジでやばいぞ。」
みんなとはぐれないようにと振り返った瞬間、ドッと人の波が押し寄せ、我々集団をちりぢりにした。
人の群れに恐怖を覚えたのはこれが初めてかもしれない。
かつてはこの巨大な山車の車輪に身を投げる信者もいたという。
目がカッと見開いている人や、わけわからん呪文、救急車で運ばれる婦人。
自分はその後辛うじて3人で行動することができ、なんとか人の群れから逃げ出すことができた。
祭りどころの騒ぎではなくなった。
俺を含む3人は一番に宿に帰り着き、みなの到着を待った。
みんなが順々に帰ってくる。
女に子は集団の中で体を触られまくり、それを守っていた男の子も恐怖を感じていた。デジカメを盗まれた人、財布を奪われかけたひと、、、、。
みな祭りどころではなかった。
最後に帰ってきたカップルは、本当に大変だったようだ。
ラリッてしまったインド人の集団に囲まれ、あざだらけになるほど体を触られ、服も破られた。男の子はそれから守るために体をはり、カメラを奪われた。二人とも死ぬ恐怖を感じていた。
その場には理性なんてなかった。
その場に居合わせた俺らもまた、行ってはいけない所だった。
過去には、祭りの後、散々暴行された女性の7人の遺体が、寺院内から発見されたこともあったという。
そこは宗教を超えて、集団ヒステリーの場と化していた。
日本とは違う価値観。宗教観。倫理観。
あらためて、思い知らされた。
写真1枚目 ジャガ様たちをのせる山車。
写真2枚目 インド人の渦。大量の警備にもかかわらず、、、、。
写真3枚目 何か塗り物を売るおばちゃん。「コールド」らしい。何が?