宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

コルカタ。ぐっちゃぐちゃなところ。




移動移動の日々である。
 ダージリンから一路、どこへ向かっているのかというと。
 プリー。
 また。
 ヒンドゥーの大きなお祭りがあり、そのために帰るのだ。
 コルカタはトランジットである。
 ダージリンからジープで3時間、あの涼しさが嘘のようにべったりとした熱気が体にまとわりつく。
 ニュージャルパイグリから列車でコルカタへ。相変わらず列車は1時間遅れ。
 夜の9時に乗り込み、朝9時ごろにコルカタのシアルダー駅に到着した。
 ホームが見え始めたころである。
 はしっこにおじいちゃんが横たわっている。
 近づくにつれ、体に尋常でない数のハエがたかっているのが見える。
 目は白目をむき、頭からは大量の血が流れている。
 列車にはねられた人なのか、なんなのか、確実に死んでいた。
 人々は普通にその近くを歩いている。
 駅を降りるとむあっと便所のような臭いが熱気とともに体に入る。気持ちが悪い。
 駅は人間の坩堝。向かいのホームではパンパンに人で詰まり、はみ出た人が手すりにつかまっている列車がホームに滑り込み、雪崩のごとく、小さなドアからインド人が飛び出してくる。
 タクシーで街中を抜ける。
 泥、ホコリ、くそ、雨で、強烈な異臭とぐちゃぐちゃの路面。
 そこを裸足の人々、野良牛が歩き回る。
 
 コルカタといえば、そう、ボランティアのマザーハウスコルカタといえばここの名前が出るくらい、日本人からはマザーハウスの名前を聞いた。
 ボランティアに関しては、この旅行の当初からほとんど興味はない。
 理由という理由はないが。
 今は人のことより、自分の将来。ということだろうか。
 日本でもボランティア(自発的になんかする)ってのはできると思うし。
 今は仕事もせず、日本に帰ったらとりあえずプーである。生活を確立できてない。
 そんな自分が外国で人助け?
 やっぱり、今は違うかなあ。俺の場合。

 相方の友人と合流し、ハウラー駅へ向かう。
 人間の渦である。
 構内が熱かったので、外で列車を待つ。
 外で待っている人々は、明らかになりがボロボロである。
 列車にも、普通の座席(ゼネラル)、三段ベッド寝台(SL)、エアコン付き三段ベッド(3A)、エアコン付き2段ベッド(2A)、一等席と、細かく分かれている。
 その服装やら、雰囲気やらから、目に見えずらかった「身分」が見えてくる。寝台よりもエアコン寝台の客の方がキレイな格好をしてるし、多くの人は英語をしゃべるし、物乞いは車両に入れないようになっている。
 まあ、日本でも差別は思いっきりあるし、幼い頃、いろんな「差別用語」はガキどもの間ではフツーに使われていた。
 「インドはカースト制度がある!」
 なんて息巻いていたけど、いまのところの実感は、日本と大差ない。
 生まれたときから差別はあって、生まれたところや在日外国人ということで就職差別があって、職場にいても差別はあって、学級内にも差別はあって。
 日本は制度や法律でそれを覆い隠そうとしているだけで、別にインドと大差ない。

 予約していた列車は、災害で路線が使えなくなり、突然のキャンセル。
 代替もない。行きたいなら切符を買えと。
 払い戻しや代替便をあてがわれない理不尽さを思いながら、バックパックを振り回しつつ窓口へ並ぶ。
 切符はゼネラル以外全て売り切れ。
 窓口のおばちゃんはゼネラル切符を売ることを渋っている。
 「ほんま、ええのん?」
 「ええから、切符おくれ!」
 のやりとりで三人分の切符を出してもらう。
 その後、駅マネージャーに面会させてくれ、そこでの相方の凄まじいばかりの食い下がりが実り、3時間後の便のエアコン寝台の座席を確保。
 約1時間前に乗り込む列車の前、ゼネラルの車両の前を通ったとき、我々は息を呑んだ。
 既に車両は人でパンパン。
 通路にまで人がはみ出し、外側のドアにぶら下がっている者もおる!
 おばちゃんが渋っていた理由がよくわかった。
 ああ、、、ゼネラルやなくって良かった。
 
 結局列車は9時間で行ける所を、23時間かけてプリー駅に到着した。
 14時間遅れって、、、。
 インドは素敵やなあ。

写真1枚目  駅と人と牛。
写真2枚目  ハウラー駅。
写真3枚目  サダルストリート。通っただけ。