宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

クスコからリマへ。




 クスコを去って、夜行バスでペルーの首都、リマへ向かった。
 
 クスコは、植民地時代のヨーロッパな建物がインカ時代の跡にそのまま乗っかったような形で造られている。
 そのため教会の土台などは、インカ時代の寺院のもので、精巧に切り取られた隙間のない岩の塀が通路を形作っている。
 中心部の広場の周りには、景観に配慮されたシャレたブティックやカフェなどが並んでいる。
 少し郊外に足を運ぶと、庶民のための市場があり、最新CDなどが1ドルほどで違法コピーされて売られている。
 服や靴などもえらい安くて、カメラのための2ギガメモリーなども500円ほどで手に入った。
 イスラエル人の多くたむろするレストランで食事をとっていたそのころ、ガザではイスラエル軍による侵攻が始まっていた。
 
 夕方夜行バスに乗り込み、目がさめる頃には赤々とした山に囲まれた山道を走っていた。
 バスは特に食事休憩などを取ることもなく、おなかをすかせていたが、座席をゆずった隣の席のペルー人女性2人がお菓子などをくれ、腹の足しにした。
 道は随分と高所にあって、前方に広がっている空が青くてきれいだった。
 
 山を下って、平地に来ると、ナスカを通過した。
 あのナスカの地上絵で有名なところである。
 残念ながら時間の関係で今回は地上絵はお預けだった。
 
 その地上絵のど真ん中を快適なハイウェイが走っている。
 ハイウェイはかなり整備されていて、目的地のリマまでかなりのスピードで到達した。
 
 ハイウェイの両側には石造りの粗末な家が立ち並んでいて、壁には「フジモリ(前大統領)は無罪だ!」という字がペンキで書かれている。
 現在裁判中のフジモリ元大統領の貧困層における人気を見たような気がした。
 
 リマの街は取り立てて面白いこともなかった。
 しかし首都だけににぎわいだけはある。
 中華街を歩き、教会を歩いた。
 特に観光などはせずに、市場などを歩いてまわった。
 プーノで一緒だったペルー人カップルに連絡することはとうとうないまま、リマを出た。
 その直後、彼らからメールが入っていた。
 遠慮をせずに彼らと遊んでいれば、この街の印象もだいぶん変っていたかもしれない。
 旅は、無粋なほどに無遠慮なのが楽しむコツなのかもしれない。

 多少の未練を残しつつ、南米を去る。
 メキシコへ飛び、次に向かうはキューバだ。


写真1  隙間のない石。
写真2  クスコの街並み。
写真3  リマの繁華街。