宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

まるで、子羊のように。




歩いて国境を渡るなんて、初めての体験。
大の男二人が、肩を寄せ合うようにイミグレーションへ向かう。大丈夫か?ここでええんか?キョロキョロする二人に物売りのオッサンらが声をかける。

俺と、前日バスが一緒だった水谷君は、朝早くに起床し、激辛の屋台めんをくらい、国境をこえた。中国からベトナムへ。橋をひとつへだてて別の国である。
この感覚、島国日本ではなかなか味わえない不思議な感覚だ。これからいったいどれくらいの国境を越えてゆくのか。中国側で出国の手続き(おおざっぱ)をすませ、300メートルほどの橋を渡ればベトナムのラオカイだ。橋の上で知り合った、日本人男性と中国人女性カップルと会話しながら、ベトナムのイミグレーションを出た瞬間、!!!ものすごい勢いでヘルメットかぶったおっさん、兄さんたちが群がってきた!バイクタクシーだ。
数ある攻勢をなんとか避け、さらに道を歩いているとクラクションが。
ふり向くと、大型バス(30も40人も入るヤツ)の扉を開けて、歩道に横付けしてきやがる![へい!バスのらないー?]アホかい!
その後、俺と水谷君はサパという、ラオカイから30キロほど離れた町へ行った。ベトナム高地の避暑地のようなところで、多くの少数民族が周辺の村に住んでおり、この日は日曜日ということで少数民族たちによるバザーが開かれるということだった。
30分ほどですべて回れてしまう小さな町。そこに個性的な出で立ちをした民族たちが大集合していた。もっとも多かったのはモン族という民族で、焼き畑農業をなりわいとする山の部族だ。みな日にやけ、背は小さく、それぞれにピアスやブレスレットを決め込んでいる。

俺たちはじっくりと市場を見て回ったが、ここの、というか、ベトナムの値段設定はメチャメチャだ。定価という概念がないからだそうだが、俺が10得ナイフを[いくら?]と聞いたら、最初[50ドル!]とかいいやがった。無視して帰ろうとすると25ドルに、最終的には5ドルにまで下がってしまった!
まあでも俺むかし、おんなじようなバッタもん、500円で売っとったから、買いませんが。
食堂で飯食ってても、少数民族が達者な英語や日本語でしゃべくりかけてくる。
そういえば、国境であった日本人男性が言ってたっけ。
[ようこそ!ぼったくり大国へ!]

その夜、食堂へ出かけると、一人の日本人とモン族のこらが宴会しており、俺らも混ぜてもらう。彼は東京の歯科大学の大学院生で、研究のためにサパの原住民たちを調査しているのだという。彼によるとモン族の娘らは、観光産業のために英語を覚えているのだそうだ。どう考えても13、4歳にしか見えない娘が、22、3歳だったりするのは、食事のせいや、民族同士の結婚が多いためらしい。ひとしきり楽しく酒を彼らと交わし、お別れした。

宿は二人で5ドルと安かったが、次の日、俺らと原住民の消耗戦が始まることとなる。