テヘランというところ。
首都のテヘランなんですが、ここはもう大都市です。
ダウンタウンのほうは標高が低く、高級になればなるほど高地になっていくところは日本みたいなもんですね。
車の量がハンパではないせいか、常に大気がにごっているようにも感じます。
道路には信号があまりなく、おしよせるバイクと車の波をうまくかわしながら渡らなければなりません。バス専用のレーンもあるのですが、左3車線は普通車用、右1車線だけバス専用なので、気づかず突っ込んだ時に死にかけました。
エマームホメイニー広場の南に広がるバーザールはとてつもなく広大で、ありとあらゆる物が置いてある。文房具、時計、紳士服、婦人服、おもちゃ、金細工、絨毯、陶器などなど。
バーザール周辺にあるジュース屋は中心部で飲むものよりも安くておいしい。特にメロンジュース。日本じゃなかなかメロンすりつぶしジュースを70円くらいで飲めないでしょう。
車はプジョーが最も多く、次にヒュンダイや中国の車、イランで生産されている車はスポーツカータイプでなかなか格好よかったです。
日本車はトヨタのプラドをちょこちょこ見かけたのですが、日本車は直接イランへ輸入されていない為、かなり高値なのだとか。アメリカ大使館もまだないし、当然アメ車なんて走っていない。日本車はドバイ経由でイランへ送られてくるらしいです。
そういえば、有名らしいアメリカ大使館跡へも行ってきました。1979年のイラン革命の際、革命支持派の学生らが大使館を占拠、アメリカ大使館員をスパイ容疑で監禁。アメリカの救出作戦は失敗したそうです。
街のビルの壁には「DOWN WITH USA!」のペイントが生々しい感じで残っています。
アフマジャネフ大統領は日本のテレビでも反米ということでしょっちゅう画面に映っていたのですが、てっきりアメリカという言葉はNGかと思っていたのですが、一般市民はみな衛星放送でアメリカ映画や音楽を手に入れまくってます。
海賊版のCDやDVDの販売もあちこちでみられました。
コーラもペプシも見かけます。ただ、これらもすべて外国経由なのだとか。
各国大使館がある北部は、かなり様子が変わってきます。
明らかにお金持ちが多そう。スカーフも色とりどりのものを身につけ、なんならもうほとんど頭からずれ落ちてしまっているような人も数多くみられます。ホント、とりあえず決まってるから、しゃーなしにスカーフ着けてますって感じがよく分かります。
北部にはサアーダーバードという宮殿公園見たいなものがあって、ピクニックしているイラン人でいっぱいです。
そこでも東洋人はやはりめずらしいのか、みなさんガン見してきます。そして興味深げに声をかけてくる人も多いのです。
この公園はでか過ぎて周り切ることができなかったのですが、喧騒のテヘランから一転、緑囲まれた落ち着いた空間で、気分転換することが出来るのです。
革命前、テヘランには飲み屋やディスコなどが沢山あり、物価の安さから旅行者天国と呼ばれていたらしいのですが、今では歌うこともダメで、CD聴く位ならお祈りをしろ、と、そればっかしらしくて、みんなうんざりしてるみたいです。
これもある人とイスラムの話をしていたときのことなんですが、
「よく外国人はイランをアラブの一部だと思っている。でも全然違うよ。アラビア語の元はペルシア語だし、ちゃんとしたムスリムも実は10パーセント位だと思う。」
ほんとかいな。だって手持ちの辞典には99パーセント、ムスリムってなってるのに。
つまり、日本人はブッティストなのかと聞かれて、「うーーん。」となるのと同じようなものらしい。祖父とか祖母はムスリムらしい。そんな感じらしい。
やっぱり人って強制されると反発するものなんでしょうね。逆説的に、タバコなんかも思い切って年齢制限なし!とかにすれば、煙すって大人ぶる未成年が少なくなるんじゃないかと思う。
しかしながら、秘密警察的な人たちはやはり居るらしく、反政府的なことを公言する人はよからぬことになるのかもしれません。
しかしながら、数年前までは男も半袖はだめ、女性は手首が見えただけでも警察に連れてかれたことがある、といっている人がいたので、現在は少しづつゆるくなっているのかもしれません。まああんなに大規模にデモされては政府も緩めざるを得ないのかもしれません。
地下鉄もバスもきっちりと男女分かれていて、これは男女双方にとってなかなか良いシステムだと相方がつぶやいていました。
確かに、触った、触ってないということもないだろうし、女性が嫌う親父臭とも決別することが出来るわけですから。ただ男だらけの車両は死ぬほど汗臭いですね。自分も含めて。