宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

メキシコシティ。足かけでキューバへ。



 リマの空港は貧民街のど真ん中のようなところにあったように思う。
 乗合バンで30分、舗装されていないガタガタの大通を通って、空港のそばで降ろされる。
 日系人が多いせいか、バンの中にいる人たちは東洋人に特に関心も示さない。
 降りる際にスペイン語を理解していない俺を見て、みな意外そうな表情を浮かべていた。

 平坦なリマの空港、すばらしく愛想の悪いおねえちゃんに荷物を預け、チェックインを済まし、飛行機に乗り込む。
 
 5時間ほどかけ、夜のメキシコシティに降り立った。
 なかなか美しい空港である。
 この街でまずはキューバ行きのチケットを手に入れなければならない。
 残されている日程はあと2週間ほどだった。
 
 空港からのプリペイドタクシーでメキシコシティ中心部にある宿へ行った。
 途中、歓楽街だろうか。
 軒並みシャッターが降ろされた商店街のような筋に、お肌あらわにした娼婦たちが15メートルおきくらいの間隔でずらりと並んでいる。
 うおーー。ヤバそう。

 路地は薄暗く、何をやっていても、何を売っていてもおかしくないような空気が流れていた。

 宿は、日本人バックパッカーの常宿、アミーゴへ泊まった。
 日本人宿として実に古い歴史を持っているらしい。
 感じのよいボサボサ頭の管理人さんが迎えてくれた。
 ドミトリーはフルで、シングルルームに部屋を取った。

 ある人はひたすら小説を読み、あるグループは飯を囲み、あるグループはスペイン語を勉強し、ある韓国人女性は上手な日本語で日本人に韓国語の意味を教えている。
 夜9時すぎには、メキシコで生活している人たちが帰ってくる。
 引越やさん、美容師さんなど職種も様々。
 合宿所のような、にぎわいと宿独特の身勝手さがいい感じの宿だ。

 俺の場合はキューバの情報集めに必死だった。
 メキシコからキューバへ行く場合、東の果てにあるカンクンというビーチリゾートから行くのが当たり前のようになっていて、自分のようにメキシコシティから行こうかという人は少ないのであった。
 それにどういう訳か、カンクンには以前行ったことがあった。
 会社の研修というか、「遊び」で。

 シティはメチャクチャ都会だった。
 地下鉄も充実していた。
 日本航空オフィスはIDが必要な超高層ビルに入っていた。

 クバーナ航空のオフィスはさみしげな街角にポツリとあり、テキトーな人たちがなかなかテキトーに仕事をしていて、ハバナまで往復430ドルのチケットを売ってもらった。
 痛い出費だが、出発前に「絶対行きたい国」が、イスラエル、シリア、インド、そしてキューバだった。

 キューバに興味を持ったのは、以前付き合っていた人が好きだった、チェゲバラの本を読んだことからだった。
 我ながら、陳腐な理由やなあとは思う。
 しかしながら、なぜある程度裕福なアルゼンチン人であるこの男が革命に身をささげたのか、不思議だった。
 私心を捨てて、(実際見てないけど)成し遂げようとしたものは、なんだったのか。
 単なる戦闘的な男だったのか。
 好奇心がパンパンに膨らんだ。
 
 で、とりあえず行ってみるか。となった。
 北朝鮮とおなじ共産主義国
 どんなところか。
 町のテレビでは近々就任するオバマがひっきりなしに映されていた。