ラパス。年越しはリバース。
ラパス時間で12月の30日朝の11時ころ、日本では紅白歌合戦が佳境に差し掛かっていた。
宿に備え付けられていたテレビには紅白歌合戦が放送されている。
その小さなテレビを、18人ほどの日本人が囲み、画面に食い入っている。その一種異様な様子を欧米人たちがドン引きしながら見てゆく。
自分は紅白歌合戦に全く興味が持てず、町をうろついていた。
しかし、帰ってきて、テレビがゆく年くる年に変わろうとしたあたりから、ともにテレビに釘付けになった。
九州あたりのお寺が映り、集まった日本人たちの中から、「あーー!俺ん家のちかく!」という声などがあがる。
みなカウントダウンの準備は万全なのだが、、、。
そこはNHK。
「あたりには小雪が舞っています。あけましておめでとうございます。新たな年を迎えました。」
エッ、、!?ああ、新年ですか。
カウントダウンなんて計らいは無用のようである。
各々からあけましておめでとうございますが連呼される。
掃除をしていたボリビア人の女の人は不思議そうな顔で見つめていた。
ボリビアでの年末は、友達のマルティンの誘いを受け、マルティンら日本好きな彼の友人たちと酒を飲んで、また紅白を観た。
彼らが住む場所はラパスの南のほうの地区で、社長と呼ばれる友達の家へお邪魔した。
日本でもお邪魔したことのないようなお金持ちな家だった。
そのあとマルティンは日本人会館の関係の人々がパーティーする場所へ連れて行ってくれ、そこではボリビアで活躍する日本人の方や、JAICAの皆さんと同席することができた。
秋元さんというボリビアで活躍する歌手の方が弾き語りをしてくれたり、カウントダウンの際にはみんなで打ち上げ花火をあげたりした。
ベランダからは無数の花火が打ち上げられている。
壮観な眺めである。
年明けとともに、ぶどうを12粒食べてゆく。
年越しそばのような習慣のようだ。詳しくは聞かなかったが。
他にも年越しにスーツケースとか、大きい鞄を担いで階段登ると、旅行に福があったりするらしい。
食卓にはお雑煮や寿司が並べられて、日本酒までいただいた。
最高に楽しい時間。
が!!
体調があまり良くなかったうえに、飲みすぎた。
酒は弱いほうではないが、なんせここは3800メートル。1ヶ月くらい経たないと、かなりきついようだ。
宿に戻ったのは深夜3時。
ドアはがっちりと閉まっていて、何度呼び鈴を鳴らしても出てきてくれない。
そのうち気分が悪くなって、ど派手にリバーーース!つまり吐いた。
久しぶりである。
宿のあたりにはクラブが軒を連ねていて、無数の若者たちが入って行っては吐き出されてくる。
悪そうな連中も、さすがにリバースしまくってるやつには近づいてこない。
宿には入れてくれそうもないので、仕方なく近くの宿のシングルに部屋を取った。
次のも、マルティンは遊んでくれた。
しかも部屋の日本人数人を連れて、車でドライブしてくれた。
ありがたかった。
ラパスには結局13日ほどもいたのだが、その居心地の良さは、マルちゃんが提供してくれたようなものでもあった。
感謝の思いを抱きつつ、ペルーへと向かった。