宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ヘルシンキ。芸術の秋を満喫する。




ヘルシンキ滞在中、もっぱら美術館やアート系の博物館などをまわった。
残念なことに美的センスに恵まれなかった自分ではあるのだが、いろいろ見てまわれば少しは分かった気になるのではないかと淡い期待を抱いていた。

美術、建築、芸術、、、うん、結局よくわかりませんでした。
あーーーこの絵きれいやなあ。
ぐらいなもんだった。

が、たまたまある美術館で、葛飾北斎歌川広重の特別展示をやっていた。
こんな所で富士山や江戸の絵を鑑賞できるとは思ってもみなかったが、最近は油絵の豪快なタッチや、キリストさんの悲劇的な絵ばかり見ていたので、線がこまやかな、それでいて生き生きした人の姿、波の形、美しいグラジュエーションの色使い、やさしい印象の風景版画に感動した。
海外にいて、日本の良さを見た。
日本人の感性は、ここまで豊かで細やかだったんだと。
備えられたテレビには吹き替えも字幕もない、版画職人のNHKスペシャル的なものが流されており、フィンランドの学生たちが食入るように見入り、メモをしていた。
日本でも版画なんて見たことがなかったのに。

現代アート
こちらのほうはまさしく意味不明だった。
というか、意味を求めるもんではないのかもしれない。

白い壁に大小の黒いボードがかけられている。横にはなにやらタイトルが。

、、、、、。で??

折れたホウキを立てて、タイトル、エッフェル塔

、、、、、。はあ。、、

1メートルくらいの円柱を逆様にしてある。

、、、、、。????、、、。

ヘンなイス。

、、、、、。座りにくそう。

理解できない。それが収穫だった。
見る人が見たら、やっぱいいんだろうなあ。
ただ、映像と音を使った展示はかなり興味深かった。
スクリーンに近づくと万華鏡のような映像と音がはじける部屋、プリンターの機会的な音を組み合わせて音楽にしている映像など、なるほどねえと思わせてくれるものも中にはあった。

そしてそこでも、日本人の写真家たちによる展示をやっていた。
そのほとんどが戦争直後あたりのモノクロ写真だったが、こちらも生き生きと撮れていた。
自分の終戦直後のイメージってもっと暗い感じなのかと思っていたんだけれど、これらの写真に写っていた人々はたくましく生きていた。
なんだかまたしても日本の良さを見つけた気がした。

ヘルシンキの人々はたいがいオシャレな格好をしていて、なんとなく落ち着いているようにも見える。
街角のCDショップや百貨店の、陳列方法やインテリアなどもちょっとしたセンスを感じる。
宿には日本でデザイナーをしている方が勉強に来ていて、北欧美人をつまみに酒を遅くまで飲みながら面白い話を聞かせてもらったりもした。
なんとなくマイペースで楽しめる街。
そんなこんなでヘルシンキは好きな都市の一つになった。