宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ダラムサラ。時間がありません。




 世界一周航空券の期限は、2月の上旬である。
 こないだデリーにて、次のフライト、デリー~アンマン(中東ヨルダン)の予約をとったものの、8月9日で、あと2週間以上もインドに居るわけである。
 ダラムサラから今夜マナリーというこれまた高地の町へ行き、その後はバスで2泊し、5000メートル級の山をこえ、レーというとこへ行くのである。
 最初の予定ではもう中東を周って、トルコにいるはずなのだが、、、、。
 はて、、、おかしいね。時間ないね。

 インドは好き嫌いがはっきりするという。
 もう絶対に行きたくないわい!という人と、ハマっちまう人と。
 俺は明らかに後者やね。
 なんせインドは文化が多様すぎる。おそらく1年あっても足りないだろう。
 
 ここダラムサラは亡命政府の影響でチベット文化が息づいている。あっちこっちで「フリーチベット」ティーシャツが売ってたり、ダライラマ14世の写真が張ってあったり、チベット坊さんを見かけたり。
 町自体はツーリスト向けの、思ったよりもガヤガヤしたところ。韓国人の旅行者を多く見かける。雨季のため天候はよろしくない。雨か曇り、霧が濃い。夜はかなり冷え込み、長袖が必要だ。
 中心部から少しはなれた所に、チベット寺院とダライラマの公邸がある。寺院には多くの坊さんがいて、お経をあげたり話をしていた。
 寺院の近くにはチベット博物館があり、苦しい難民の実情や、中国から受けた侵略のさまを写真や映像で展示している。
 これらの映像は、おそらく中国側からは公表されていない。
 「反革命的」とい名の元に、これまで180万人のチベット人が虐殺されたらしい。おそらくこの数字も、中国側のものとはとんでもない開きがあるのだろうけど。
 争いの原因を探ってゆくのは難しい。中国は戦後、強固な思想をもって共産党を作り、「帝国主義からの解放」の名目でチベットに侵入していった。
 なんの帝国主義からの解放だったのかは皆目見当がつかないが、日本の政治家に中には、いまだに日本の戦争を「解放」だったと言う、うんこちゃんもいるが、それと同じに思えてしまう。
 何度かマレーシアの人たちと話す機会が在り、あるときに日本の侵略時代について、熱っぽく語ってくれたことがある。そのときに、傷を負わされた側と、負わせた側との教育の違いがこんなにもあるものなのかと痛感させられた。
 多くの物事は片面だけではない。両面あってこそ初めて成立すると思うし、歴史にしても、一方通行の知識では歴史ではないと思う。
 日本がこれから新しい世代に、日本側のみの、片面のみの見解で歴史を教えてゆけば、あの、「俺ら悪うないし」みたいな、今の中国共産党となんら変わらんことになってしまうのではないかな。
 
 それにしても多くの難民を受け入れたインドはなかなかすげえね。
 自分ところも決してゆとりはないのにね。
 そんな、テキトーだけど意外と懐の深いインドがあっしは好きなのである。
 
 今夜、マナリーへ向けて出発である。
 雨季とはいえ、ちょっとは晴れてください。お願いします。