宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

デリーからダラムサラへ。




 むちゃくちゃ都会のデリーを深夜列車で抜け出した。
 デリー駅の周辺地域は明らかに街の様相がやばい。
 泥だらけの舗装されていない道を、裸足にボロキレ一枚で働いている人たちがいる。
 はっきりとわかる人々の格差、ランク。
 
 巨大なデリー駅の構内から、列車は定刻通り21時45分に発車。
 目指すはパタンコート。そこからバスで、チベット亡命政府のあるダラムサラへ向かう。
 夜中に寝付けず、ぶっ壊れて閉じなくなっている窓から過ぎ去る夜の風景を眺め続ける。
 日本を出てもう5ヶ月。
 まだまだ物足りない。
 行きたいところはとめどなく出てくる。
 その一方、どうやってこれから生きてゆくのか考える。
 仕事はどうする、どこで働く、何をするのか。
 よくいろんな人から、そんなことは考えるなというアドバイスをいただく。
 けど、そんなん無理やねえ?
 常に頭にこびりついてる想い。
 たとえカッコつけても、長期旅行者なんて実際は現実逃避。(本人違うって言っても。)
 多くの人は、旅行を続けていたい、けど、、という、当たり前の不安をもっているんやろうと思う。
 特に自分は小心者やしね。

 目の前を高速で過ぎ去ってゆく野良牛たち。
 そいつら見てたら、まあ、何とかなるわな、と思ってしまうから困ったもんやね。

 8時15分。列車は20分遅れというすばらしい成績でパタンコートへ。
 ダラムサラへ向かう4時間のバスの中で、「ダライラマ自伝」を読み終える。
 これでチベットを少し知った気分になるから、自分も幸せな性格だなと思う。
 
 1959年、中国から侵略を受けたチベット。多くの人々が難民化してしまう。チベットにいる人々は自由を失い、その地を蹂躙される。ダライラマ14世はインドへ亡命し、ダラムサラには新政府が樹立され、多くのチベット人が逃れてきている。
 こういった悲劇の歴史は、どの民族でも持っている。
 日本でも竹島問題が激化しそうな感じ。
 どの民族も、みんないいやつがいて、やなやつがいて、同じやねんけどね。
 難しい。

写真1枚目、デリー、コンノートプレイス周辺、都会っす。
写真2枚目、デリー、おっされーなカフェ。
写真3枚目、日本が一枚かんでいる地下鉄。速くてきれいで快適。一区間6ルピー。