宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

エコトレッキング。こんな感じ2



村の朝は早い。けたたましいニワトリの鳴き声で起こされる。午前4時。何度かニワトリを無視して眠ろうとするが、高床式住居でニワトリがその床の真下で鳴きやがるもんだからついに眠れなくなった。
 あたりは薄暗いが、村の人々は活発に動き回っている。クワみたいのをもって畑へ行く人、米を洗っているおばちゃん、やっぱり走ってる子供。昼間はガンガンに暑いのに朝はかなり冷え込む。朝早くに動いて昼時に寝る理由がよくわかる。
 サックさんがチキンスープのおかゆを作ってくれ、それを軽く3杯ほど平らげて8時ごろに出発した。
 しばらく歩くと、近くに小屋が見えてきた。サックさんが説明する。プーエコがこういったツアーで得た収益を、村人のために還元したものらしい。お店というか。小屋である。その中にはカンヅメや米、簡単なつまみや文房具など、生活に必要なものが収められていた。カギを管理しているおっちゃんがいて、必要なときにそこから物を買うようだ。だから何かおみやげ物があるわけでもなく、生活必需品のみ置いているようであった。
 生活は日々変わってゆく。戦後日本が激変していったように、変化というのは止められないものなのだと思う。ベトナムのサパに行ったとき、ツーリスト用に民族服を着たり、お土産を売る人たちで溢れていた。ツーリスト用に英語を覚えて、少女たちはそのお金でネット屋へ駆け込んでゲームしたり、ユーチューブでアメリカンミュージックを鑑賞していた。そのアンバランスさが衝撃だった。彼らは生きるために、生活を豊かにするためにやっているのだ。時間をかけて農作物を作って売るよりも、その日10ドルでも収入があったほうがはるかにいい。ツーリストの大量流入は彼らの生活を激変させてしまった。人々の生活や伝統を守りつつ、利益を還元してゆく。ネットをやろうと思えば何時間もかけて町へ出ないといけない。でもこの村の人も携帯電話は持っている人もいる。「私たちは、ゆっくり変化してゆきたいのです。」と言ったサックさんの言葉が印象的であった。

 村を越えて、山道を下る。別の集落が見えてきた。このあたりには電線は通っていないが、小さな太陽光発電機があった。サンサンと照る太陽の光を、夜の明かりにまわしている。通りがかった家では昼飯時。ちょっと食ってけ!手招きにつられてご飯を一口。五穀米のようなものをみんなで食べあっていた。さらに下ってゆくと川が見える。そこで昼食をとった。
 メニューは、バナナの葉で包まれた即席めん。焼きそばのような感じで、朝作ってくれたものだ。荷物を持つのでついてきてくれたおじさんが竹をナイフで切り取ってお箸を作ってくれた。うーむ、器用。村からついてきてくれた人を合わせると5人位が我々パーティーを助けてくれた。いうなれば一人につき一人のガイド。贅沢なものだ。

 昼食後、川をひたすら上る。石が大きく、なかなか難儀な道なのだ。倒木をわたって、時には川の中を通って二時間ほど上ると、川と川が交わっている箇所がある。そこに10人は泊まれるであろう高床式のロッジがあった。今夜はここで眠る。
 つくなり村の人たちは飯の仕度をはじめる。食器はすべて竹で作る。竹に穴を開けて、なかに米と水を入れる。ふたをしてジャーの出来上がりである。少年がニワトリをわしづかみにして持ってきた。首をキュっと締めて丸焼きに。それを祭壇のような所に祭って、お祈りしてから調理した。飯は野菜たっぷり、肉超新鮮な、かなりデリシャスなものであった。米がおいしいのだ。あのタイ米の独特の香り、ぱさつきがなく、もっちりしていてまるで日本の米のよう。竹の香りも手伝ってかなりおいしいお米が頂けた。このツアーでは、飯に関してはまったく問題がなかった。どれも量は十分すぎるくらいだったし、味も抜群だった。
 夜にはガイドの一人であるティーさんと仲間たち4人が小魚とカエル、大きなネズミを捕ってきて、丸焼きに。ナンプラーをかけて出来上がりのシンプルなもの。どれもうまかった。竹のコップでコーヒーをいただき、10人くらいで[UNO]で盛り上がる。
 なんだかいいなあーー。と心底思える涼しげな夜であった。

エコって何!?
プーエコトレッキング http://www2u.biglobe.ne.jp/~remimin/ecotrek/newtrek.htm