宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

エコトレッキング。ってこんな感じ。



 お久しぶりです。
 しばらくパソコンから遠ざかった環境で過ごしてきました。
 6泊7日に及ぶトレッキングとカレン族との出会い。それはとてもとても貴重な経験で、体にしみこんで来る様な、深い経験でした。
 何を書いてゆけばよいか、良くまとまらない程ですが、まずプーエコトレッキングの方々には感謝と敬意を。

 部屋のドアをたたく音で目が覚めた。あわてて時計に目をやると8時ちょうどだ。あれ?確かピックアップは7時のはず、、、。この旅で初めて寝坊した。
 2泊3日のトレッキングツアーに参加を申し込んで、その晩なぜか眠ることができず、明け方まで小説を読んでいた。完璧寝坊。大慌てでザックに荷物を詰め込んで部屋を出てチェックアウトを済ます。ガイドのサックさんが立っていて、バイクで集合場所までひっぱって行ってくれた。朝からご迷惑をおかけする。
 このエコトレッキングツアーの参加者は幸い日本人ばかりだった。あゆちゃん、ちかちゃん姉妹と、まさおさん、まさよさん夫婦と俺という5人だった。
 ピックアップトラックに荷物をのせて出発するなり、あちらこちらから水をかけられる。今はソンクラン真っ最中。街中では覚悟していたけど、まさかハイウェイでこんなにかけられるとは思ってもみなかった。
 車はメーサリアン地方のミャンマーとの国境近くまで3時間近くかけてゆく。昼食をとり、オフロードをしばらく突っ走り、山道のど真ん中で車から降ろされた。そこから歩きだという。
 細い山道をしばらく歩いてゆくと、開けた場所にでた。幾重にも重なる山の景色が美しい。山焼きの煙なのか、激しい太陽光と混ざり合って、景色全体を白くにごらせている。
 ガイドのサックさんはここで立ち止まり、英語で話し始めた。

「みなさん、まずこのエコトレッキングはエンターテイメントを主とするものではありません。ある意味 勉強のひとつだと思ってください。それは自然と人との関わりであるとか、伝統であるとか、民族であ るとか、歴史であるとか、そういったことです。だからこのトレッキングには川くだりや象のりといっ たものは入っていません。歩きのみです。」

 それからしばらく、講義が続いた。象のりの象は,ハイシーズンには何度も観光客を乗せて歩かされる。多いときは一日に5回もツアー客を乗せて歩く。その負担とストレスで弱り、病気をしたり、怪我をする。そういった実態であるとか、訪れるカレン族ミャンマーでの戦争で難民として逃れてきたといったことなど、雄大な景色をバックにそういった話を聞いた。
 後日辞書で調べたところ、カレン族少数民族といえ、人口は100万人のも及ぶ。焼畑による稲作を行う。言語はタイ語と違って、チベットビルマ系の言語を使用する。サックさんに文字を書いてもらったが、タイ語とも全然違って見えた。習得は教科書があるのか聞いたが、それはなく、自然に伝承で伝えてゆくのだそうだ。おもなルーツはチベット系であると言われているらしい。現在はミャンマーとタイ北部に分布していて、1948年のミャンマービルマ)独立に際して英国の支援の下に分離独立を求めてカレン人国家(コートゥーレー)の独立を宣言して、ミャンマーとの武装闘争に入った。細かい記述はここでは省くが、武装闘争は1995年ごろ、最近まで行われてきたものらしい。ミャンマーからの難民も多いらしい。
 宗教も多様だ。キリスト教徒が多いが、仏教徒もいる。そしてその根幹にあるものなのか、一つの宗教として存在しているのか確認はできなかったけど、アニミズム(あらゆる事物や現象には精霊、霊魂が存在していると信じる観念、信仰)が存在する。多くのカレン族の人たちや、その家にお邪魔させてもらったが、個人的にはまずこのアニミズムが人々の根底に流れているのではないだろうかと思った。ご飯を食べるとき、川のほとりで泊まるとき、新年の行事、様々なシーンに直面したが、その生活のにおいや、祈りからそう感じた。
  
 山道を1時間ほど歩きつつ、サックさんが道端の草を抜き始めた。お茶になる草らしい。さらに木の実をむしりつつ、焼畑したての土地に出た。地面は黒くこげ上がり、所々煙がまだ上がっている。ここで米を作る。斜面はとんでもなく急で、こんなところで稲作するのかと、その労働を想像して感嘆した。このあたりの土地はほとんどが焼畑のようで、山々には立派な木々は少ない。無肥料で耕作を続けて、土地がやせるとそこを放棄して地力の自然回復をまって再び焼畑にする。生産量は少なく、かつては日本でも行われていたが現在ではほとんど消滅。地球環境問題にもなっているらしい。
 焼き払われた広大な土地を抜けると、山間に小さく屋根が見え始める。今日泊まる村が姿を現した。小さな村で、25世帯ほどの村だろうか。 
 村に到着して、ステイする家に荷物を置いて村を散策した。ニワトリ、犬、牛、豚、様々な家畜と笑顔全開の子供たちが迎えてくれる。ものめずらしげに遠巻きに眺めてる子や、カメラを向けると恥ずかしがって逃げ出す子、歩いているとおばさんが手招きして、庭の鶏をと殺してさばくところを見せてくれたり、酒を飲まないかと手招きしてくれたり、機織りの所を見せてくれたり。
 特に打ち解けていたのがちかちゃん、あゆちゃん姉妹だった。全く言葉が通じないのに、もののみごとに子供たちやおばさんたちと楽しげにコミュニケ-ションをとり、マッサージをしあったり、民族服を着せてもらったり、笑い声が村中に響いていた。俺とまさおさんまさよさん夫婦もただ、「あの子らのコミュニケーション力はすごいねえ。」と、なんだか憧れとも驚きともいえないような声を出していた。

 いきなり話はぶっ飛ぶけど、アジアの旅は2ヶ月を過ぎた。親切にしてもらってチップ請求なんて当たり前のことで、そんなもんだという心のバリヤーを張るようにしている。ちょっと残念なことだけど、アジアでは全てがお金。そういう認識を持っている。以前ベトナムのサパでトレッキングに参加したが、少数民族は物の売りつけ方がすごくて、小さい子供も口を開けば「1ダラー!」物を買わないといつまでも付いてくる、カンボジアでもにこやかに笑う少女を撮っては「1ダラー、サー」。そんなもんだと思うようにした。事実、そうだから。俺は「歩くお金」だから。でも親切にしてもらったと思ってありがとうと言って、「何ドル」とか返されたときは、わかっちゃあいるけど、少々がっくり来るのだ。だからがっくりこないように、バリヤーを張るようにしている。
 しかしこの姉妹やこのカレン族の人々のやり取りはなんだか新鮮だった。俺なんか多少の警戒心を持って事に挑んでしまうようになっている。良いことなのかもしれないが、良くないことにも思えてしまう。
 この村に訪れるツーリストが少なく、プーエコトレッキングのコンセプトが明確なため、村人とツーリスト、プーエコトレッキングで良好な関係が築けているように思う。そのコンセプトは

 1、植物や動物、地域の生活、社会様式、考古学的遺産への影響を最小限に押さえること
 2、ガイドはその地域に特有な価値をより深く理解するためのわかりやすい説明を心がけること
 3、ツアーの実施と決定に地元の人々が参加すること。
 4、地域へ利益が還元されること。

 である。ベトナムでのトレッキングに辟易とした俺は、値段を置いて、しっかりしたコンセプトを持ったトレッキングを探していて、ここを見つけた。
 はっきり言って、料金は他のものより高い。多くは1800から2300バーツで行けるところを3500バーツ払っている。ケチケチ生活の身には贅沢なご身分だったが、中途半端なトレッキングは嫌だった。
 村に着いて納得したのは、お土産や、お菓子を売る店さえ村にはない。物を売りつけてくる素振りも全くない。ただ、珍客が来た感じで、温かく迎えてくれた。これはしっかりと利益を還元している証拠なのだろう。そんなの高い金払ったら当然だろうと思う人も多いかもしれないが、俺は、これは観光産業におけるフェアトレード発展途上国の農産加工品や民芸品などを適正な価格で購入し、その利潤を現地の環境保護などに役立てようとすること)にあたると思う(それでも2泊3日で得たここでの経験の値段は安いように感じた)。
 この問題は一筋縄ではいかないと思うし、俺ごときの付け焼刃の知識では語れないけど、多くの発展途上国を回ってきた中で、多くの疑問を持ってきた。貧富の差ってなんなのか、それが果たして何らかの指標になるのか。観光産業って、何のためにあるのか。俺達日本人は物価の安い国々へ行って狂喜する。あれも、これも安いよ!俺なんて1日500円で過ごせるぜ!ただバックグラウンドの違いから生まれているこのおめでたさ。時に自分のバカさ加減にあきれる。いわゆる「バックパッカー」という立場が白い目で見られることがあるのも当然か。
 人によっての住みやすさや、幸せは違う。以前日本のテレビ番組で、地域格差のドキュメントをやっていた。苦しい生活をしている地方の人々の生活がひととおり流された後、ニュースは地方の特別交付金かなにかのニュースに移り、街頭インタビューでバカなおばはんが「そんなに地方が苦しくて仕事がないなら東京に来たら良いじゃない。」とのたまいやがった。アホというのはかわいいけど、馬を見て鹿というようなこのおばはんにあきれ返った。物事、そんな単純か?東京だけで、おまえメシくっとんかい!と、意味のない怒りを覚えた。
 まったく的を得ていない記述で申し訳ないが、そういうこと。こんがらがってるということだ。

 その晩、おいしいご飯と鶏のスープで腹いっぱいになった後、まさおさんまさよさん夫婦が村人へとプレゼントをザックから取り出した。それは色とりどりのたくさんの鉛筆とたくさんのノートだった。サックさんはそれを受け取り、
「教育は、本当に大事なんだ。しっかりした教育を受けて勉強すれ、ばなにか解決方法が見つかるんだ。 お金をもらっても子供たちはただお菓子に遣うだけだろう。だからこのプレゼントは本当に嬉しい。」
 と心底感謝しているようだった。小さなことでも何かできるんだと教えられた。
 寝床は高床式の住居。硬い板に寝袋だけかぶって寝た。