山の辺の道後半戦。その2。
山の辺の道後半です。
前半はこちら。山の辺の道後半戦。柳本〜天理
竹之内環濠集落のお堀。そういえば写真撮らなかったけど、ここへ来るまでに同じような池がありまして、調べてみると萱生集落というところでした。
戦乱の時代に、集落の自衛のため堀で囲ったそうで、その名残が今も残っているらしいです。
それはそうと、午後2時過ぎで、朝サンドイッチを食べただけでしたので、腹が減って死にそうに。
もうだめだ、と思ったころに、休憩できるところが!
中にはカフェのほかにお土産物なんかも売っており、なかなか広い。
で、念願かなってありついた定食。
うまかった!ほんまに。店の外にはつながれた柴犬がおり、かまってもらおうと口ぶえ鳴らしたりするんですが、ガン無視。
そして出発。
相変わらずこんな風景が続きます。
この神社のなかにはトトロでもおりそうな感じです。田んぼの水には無数のおたまじゃくし。
私の両親は出身が徳島で、私は育ちは大阪なんですが、よく夏休みとかに徳島にかえると、こんな風景が広がってました。
いまは川はコンクリートで蓋がされ、田んぼにはワンルームマンションが立ち並んでますけどね。
なんとなく、じいちゃんに手を引いてもらって近所の売店でアイス買ってもらったこととかを思い出します。
ここは山の辺の道なのか??と疑うくらい、民家の間を通るところがあるのですが、そんなところでは脇とかで野菜の無料販売所があったりします。100円とかで、トマトがパンパンに詰まってたり。
さて、さらにズコズコと歩き続け、内山永久寺跡というところを通り過ぎますと、桜の木の前に松尾芭蕉の歌碑があります。
「うち山や とざましらずの はなざかり」
で、内山永久寺に咲く桜のことを言っているのですが、このお寺、1113年〜7年ごろに建てられたお寺らしく、一時はものすごく栄えていたらしいですが、明治のころの廃仏毀釈で破壊しつくされてしまったそうです。
今では池があるのみ。爆撃とか、侵略でなく、日本人自身が寺や仏像を破壊しまくっていた時代があったんだなあ、、と。
明治維新のころって、どんなんやったんやろうか。今となっては想像できませんね。
そんなことを考えつつ、やっと天理にある石上神宮へ到着。
非常に古く、歴史のある神社です。
なぜかニワトリが闊歩してます。我が物顔で。
石上神宮から天理駅までは2キロほどはあったと思いますが、途中天理大学と天理教の一大施設が軒を連ねています。
でかい、でかい、とにかくでかい。街全体が天理教一色な感じで、なんとも不思議な感じです。
JR天理駅から奈良駅までは、ほんと4、5駅なんですが、とにかく列車の本数が少なく、1時間に2本くらいだったか、、、。帰りは20分ほど待ちました。
ああ、やっと足かけ2年の山の辺の道終了。あ、でも普通はみんな1日でいっちゃいますよ!16キロ位あるけど。
歩き終えた感想としては、日本の原風景を堪能できて、めちゃくちゃ満足でした。世の中のパワースポットブームを鼻で笑ってましたが、いや、元気になった!ほんとに。
都会のみなさん、気分転換に山の辺の道、ええですよ。