宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

『エスファハーンは世界の半分。』

結局ハミトさんご一家に御世話になりっぱなしのエスファハーン

実はここ、「イランの京都」と日本人は言うほど、古都であり、イスラム建築の粋な部分の集大成でもある街なのです。

紀元7世紀にさかのぼるほど歴史は古く、長くシルクロード貿易の拠点として栄えていた。

1220年にモンゴル軍の襲来により壊滅するも、その後サファビー朝の王シャー・アッバース一世がここを首都と定めてから、繁栄した。

そのころには162のモスク、48の神学校、182の隊商宿、173のハンマーム(公衆浴場)があったという。(『旅行人』より)

その美しさから、「エスファハーンは世界の半分」と称えられていたそうです。

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ここは中心部にあたるエマーム広場。

街自体は他のもの同様、ごみごみとしたもので、道路は車で満ち、渋滞のクラクションが響いているのですが、広大な広場に入ったとたん、喧騒はましになり、目に入るのは緑の芝生、大きな噴水。違う街にきてしまったかのような錯覚を覚えます。

奥に見えるのはマスジェデ・エマーム。あるおっさんが言うには、丸いドームの両側に突き出た二本のミナレット(塔)。これはメッカの方向に対してお辞儀をしている「手」なんだとか。さしずめドームは「頭」のようなものでしょうか。

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このマスジェデ・エマームはアッバース一世が26年の歳月をかけて造ったモスク。超巨大な入り口をくぐると、鍾乳石造りの華麗な天井を拝めます。その青の美しさは絶句。

草のような、花のような文様が隙間なく描かれている。ほんと、どうやって描くんでしょうね。

内部は残念ながら工事中で、少ししか入れませんでしたが、それまでにみたイスラム建築の簡素さがはっきりしました。

その広場の東側に位置するのがマスジェデ・シェイフ・ロトフ・オッラー。

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こちらも王族の為のモスク。入り口をくぐると、外の恐ろしいほどの熱がうそのよう。青タイルに囲まれた廊下にはひんやりとした風が通っている。

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ドームの内部は黄金の色をしていて、やはりびっしりと文様が描かれています。こちらもホント、美しい。

向かい側にあるのは、アーリーガープ宮殿。

レンガ、タイル張りの建物が多い中、屋根を支える巨大な木柱が印象的でした。

正面が2階建て、裏面が7階建てというちょっと変わったつくりで、木柱に支えられて広がる2階部分から、アッバース2世はエマーム広場で行われていたポロ競技を観戦したそうです。

6階部分は音楽堂になっていて、壁一面に広がる、楽器をモチーフとした装飾が特徴。こんなのはみた事ありません。

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壁画は人物画などが多く、こちらも他国のイスラム建築や美術とは一線を画しているように思います。

そしてその絵を、イランの美大生たちが修復作業をしていました。

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エマーム広場を囲むようにして、バーザールが展開され、ペルシャ絨毯や陶器、名物のお菓子、おみやげ物屋で埋め尽くされています。