宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

エスファハーンでの出会い。いい出会いでした。

シーラーズからエスファハーンへ向かう長距離バスのなかで、よい出会いがありました。

 休憩時間に話しかけてきてくれた一人の若くてお美しいイラン女性。手には某有名ブランドのバッグ。明らかに他の人たちとオーラが違う。

 彼女はサッカルさんといって、父が以前日本にいたことがある旨を片言の英語で嬉しそうに伝えてくれ、携帯電話でお父さんとお話。

 お父さんが日本に居たのはもう12年前らしく、「忘れかけてるけどね。」といいつつも、なかなか流暢な日本語で、「うちに来なさい。」と言ってくれました。

 ご好意だけ頂こうと思っていたのですが、バスが到着すると、すぐ、サッカルさんのこれまた好青年なフィアンセが車でお迎えに。笑顔で挨拶交わしているうちに、あれよあれよと私らの荷物をトランクへ。

 結局サッカルさんのお宅へお邪魔することになりました。

 お宅は4LDKくらいのなかなか広いアパート。

 家に着くなり、サッカルさんはスカーフを脱ぎ捨て、黒い布を剥ぎ取り、タンクトップにジーンズ姿へ。イランの人たちは西洋系の顔立ちの人が多いせいか、こうなるともう欧米人と全く変わりません。

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 暑くて、やってらんないのよね。

 そんな仕草をしてテレビをつけると、アメリカ映画や、MTVのような番組が。

 それまで会った旅行者から、アメリカはご法度なんだ、というようなことを聞いていたので、少々驚きました。

 お茶を振舞ってくれている間にお父さんが帰宅。お父さんの名はハミトさん。見るからに人がよさそう。

 おーーーこんにちは!!

 という挨拶から始まり、いろんな話を聞かせてもらいました。

 まず、日本では千葉のほうで8年ほど働いていたこと、そのとき働いていた溶接工場の技術を生かし、鉄製のシャレたイスや、窓枠、階段の手摺などを作る仕事をしていること。

 お父さんやお母さんはアメリカに住んでいること。自分もアメリカへ来年移住する予定であること。などなど、、、。

 テレビで現大統領が移った瞬間ブーイング。この大統領、他のところでもそうだったけど、相当嫌われているよう。これまたバスの休憩所で、学生連中に現大統領についてどう思うか、と質問され、返答に困ったことがある。

 実際大統領選挙後の大混乱は収まっておらず、そのデモの規模から見ても、現大統領の得票率が圧倒的というのは、どうみてもおかしいようです。

 イランは石油資源が豊富な国であるにもかかわらず、その利益はほとんど国民に還元されておらず、インフレは進むばかり。国民の怒りもたいがい、頂点に達しつつある、というところらしいです。

 夜も遅くなろうとしていたので、おいとましてホテルでも探しにいこうとしたら、娘さんが「なに言ってるの、泊まっていきなさいよ!」と一言。

 なにやら部屋をがさがさ掃除しているなあとおもったら、私らのための寝床を用意してくれていたのでした。

 いやあ~~。申し訳ない。じゃあ、一泊だけ、、、。

 

 と、次の日に荷物をしょって出ようとするとハミトさんもサッカルさんもきょとんとした表情。

「何?ずっと泊まればいいじゃない?なんで出る?」

 と、言っていただき、、、、結局一週間もお邪魔してしまったのでした。

 その間も、観光案内をしてくれたり、どこどこへ行こうと思っている、と伝えると車で送ってくれたり、出かける際には「水とバナナ」を必ず持たせてくれたり、晩飯は常に腹いっぱい食べさせてもらい、お友達たちと共にバーベキューをしにいったり、、、。あげくにペルシャ絨毯はくれるは、別れ際にお土産を持たせてくれるわ、、、。

 換えがたい思い出をたくさん頂いたり、イランの現状を教えてもらったりしたのでした。

 ハミトさんは日本で受けた親切を恩返ししたかった、とも言ってくれてました。ある意味、日本の人にも感謝しなければなりません。

 1泊2日でキャンプにも連れて行ってくれました。

 エスファハーンから100キロほど離れた小さな町で、谷の間を緑が覆っていて、その中をキレイな川が流れてました。

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 川べりには別荘が立ち並んでいて、そこのオーナーは1泊60ドルほどで部屋を間貸ししているのです。

 それまで度々遊んでくれていたハミトさんの友人、ムハンマドさん家族とあわせて、8家族ほどの人たちとバーベキューしたり、子供らと遊具で遊びまわったりしました。

 ここでもやはり日本人は珍しいみたいで、子供も大人も興味深々なご様子でした。

 イランではお酒は厳しく禁止されています。イラン革命前は、町中に居酒屋があったらしいのですが、最近ではお茶を飲むチャイハーネですら政府によって規制されているのです。つまりお茶でも一杯、、、というのが、全く出来ないのです。 

 

 現に、ガイドブックに記されているチャイハーネは全て閉店。「イランへ行ったらチャイハーネ巡りです!」みたいな記事がむなしくなるほど閉まっている。開いているところもあるのですが、だいたい地下とか、雑居ビルの2階とかで、こっそりとやる感じ。

 そこで水タバコふかしているような人も、決してよさそうな人々には見えませんでした。

 ハミトさんの話では、もともとチャイハーネは男しか行かないところだし、決して感じのよいところでもない。チャーイ飲むなら家で飲めばいい、と。

 でも一方で、そんなささいな娯楽でさえ公に許されない社会は、やっぱり変だよ、とも言ってました。

 別荘の部屋では大人たちがウイスキーをあおっています。向かいの別荘でも酒を飲んで気持ちよさそうな若い衆が音楽ずんどこ掛けて踊っています。

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朝食の様子。

 そういえば、音楽ですら、イラン国ないではダメらしく、衛星放送から流れてくる、もしくは若い人たちが聞いているイランポップスは、アメリカへ亡命したアーティストたちが、アメリカで収録しているものだそうです。さすがのイラン政府も衛星までは規制しきることができないんでしょうね。

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 夜になると、車のステレオをフルにして、ダンスミュージックで踊っていました。ゲストということで、日本代表としてたこ踊りを披露してしまいましたが、なるほど人々は日々の生活を楽しんでいるご様子。もっと窮屈な国なのかと思いきや、たくましく楽しみを満喫している感じでした。

 翌日にやった川下では、流れてゆく珍しい東洋人に、目を見張る遊びに来ていた学生たち。「サラーム!」と声を掛けると「サラーーーム!!」の合唱と共に一斉に川に飛び込みボートへつかみかかるという楽しいハプニングもあり、楽しい2日間となりました。

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 数日たつ頃にはハミトさん宅もすっかり自宅のようにリラックス。そういう空気をかもし出してくれていたハミトさんと娘さんに、本当に感謝です。

 友人のムハンマドさん家族ともほぼ毎日会っていて、テヘランへ向かう列車のホームギリギリまで、ハミトさんと共に見送ってくれ、こちらも同様に感謝です。

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