宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ニューヨーク。

 メキシコシティからアメリカンエアラインでマイアミへ向かう。

 新しい大統領就任に沸くアメリカ合衆国上陸である。

 飛行機の小窓から見えるマイアミは続く限りの砂浜と、エメラルドグリーンの浅瀬が広がっていた。

 その海面をおもちゃのようなクルーザーが浮かんでいた。

 リゾートという言葉の語源のようにおもえるような場所。上から見ただけだが。

 

 入国の窓口は無数にあるものの、どの窓口の長蛇の列も一向に少なくなる気配がない。

 イミグレーションで両手の指紋の認識かなんかが必要になったせいか、入国に異常に時間がかかっていた。

 ニューヨーク行きの飛行機乗り継ぎに2時間しか時間がなかったのに、イミグレーションを突破したころには残すところあと50分というところだった。 

 アメリカンエアラインというのはサービスが悪いと聞いていたのだが、まあそれもそう感じたのだが、せめてちょっとした軽食くらいは出してほしかった。

 2回のフライト、計5時間の空の旅で、出たのはオレンジジュース一本である。

 クバーナ(キューバの航空会社)ですらサンドイッチセットがでたのだが、、、。

 

 ニューヨークには夕方の6時ごろに到着。

 バックパックを取って出口を抜けると、信じがたいほど寒い。

 5時間前まで半袖だったのに。

 1月のニューヨーク。マイナスの気温が当たり前のような土地柄だとは知ってたが、体感してみると半端ではないことがわかった。

  

 「ホステルワールド」というサイトで、、ホステルは予約していた。一泊12ドル。物価の高いニューヨークではなかなかの値段ではないか。

 

 マンハッタンのセントラルパークの北、ハーレム地区である。

 映画でよく出てくる、なんか黒人さんたちがドンパチやるところ、みたいなイメージしかもっていなかったので、相当のビビリ心を持っていた。

 空港で置いてあるフリーの地図で場所を確認。通りの名前が番号で秩序立てられているため、地図を見ることは容易だった。

 道路わきにはガチガチの雪が積まれていて、吐く息は煙のように白い。

 すれ違うのはしっかりと防寒した黒人だけで、白人を見かけることがない。

 

 恥ずかしい話、そのことだけでも、ニューヨークに来てるなあなどと、妙に興奮してしまった。

 宿は8人ベッドで、ほとんどが若いアメリカ人だった。といってもオリジナルの人種は様々で、ヨーロッパ系や東洋人、黒人、メキシカンなどが入り混じっていた。

 次の日からは歩き回る日々だった。

 

 毎日のようにセントラルパークの中を抜けて、賑わうタイムズスクウェアまで歩いた。

 距離にして6、7キロほどだろうか。

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 セントラルパークの雪は完全に凍っていて、わずかな水場には白鳥をはじめ、たくさんの水鳥がいた。

 木にはリスが這い回っていて、その枝にはミミズク見たいな立派な鳥がいる。

 周辺のビル群と相対するような落ち着きのある公園で、経済的に大変な時期であるとはいえ、世界でも最も華やかな町なのだ。

 その対比に驚いた。

 そしてその公園内をスウェットを着て、音楽を聞きながらジョギングする人や犬の散歩をする人がいて、ああ、ニューヨーカー、ってこんなんなんやなあ。とミーハーな気持ちが起こった。

 夜のタイムズスクウェアは賑やかだった。

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 ミュージカルの看板がビルの間を華やかに彩っていて、道には浮かれた人々や切符売りであふれ返っていた。

 そんなところで、吉野家の牛丼やマクドナルドのハンバーガーを食って、地下鉄で帰った。

 

 結局アメリカ料理って、どんなんなんだろうか?

 地下鉄にはバイオリン弾いたりするおっさんや、大小のゴミ箱をドラム代わりに小気味よく叩くお兄さん、大道芸のおねえちゃんなどが技を披露していて、見事だったら惜しげもなくコインを投げる。

 メトロに乗り込んできては手を差し出してくる浮浪者に、お金を渡す人々。

 「自己責任の国アメリカ」は「慈悲」という対するかのようなものも持っているように感じた。語弊があるかもしれないけれど。

 

 ある日の帰り、地下鉄を降りてスーパーで買い物をしていると、一人の日本人女性と再会した。

 彼女とはこれでトルコのイスタンブール、南米アルゼンチンのカラファテ、チリ、サンティアゴのバス停、イースター島に続き、5度目の再会となった。

 しかも数ある宿の中で同じ宿に滞在していた。

 偶然の再会は楽しみの一つである。