ハバナ。革命と社会主義な町。
同じ宿の日本人旅行者、モトシ、ダイスケと町をうろついていた。
ハバナでまず行ってみたかったのが「革命博物館」。
いかつい名前である。
そして社会主義国独特のネーミング。
入り口にはでっかい戦車が飾られていて、立派な3階建ての博物館は、もともと大統領の官邸か何かだったようだ。
中にはゲバラやカストロの若いころの写真から、革命に至るまでの流れ、キューバの産業について、革命戦争の詳細など、ゆっくり見てたら3時間くらいはかかってしまうシロモノ。
ゲバラファンにはええもんなんだろう。
そして博物館の壁にはブッシュやレーガンを風刺した絵が描かれている。
中庭に出ればカストロやゲバラ、革命戦士たちがキューバに乗り込んだ際のグランマ号が厳重なケースに囲まれて展示されていた。
革命から50年がたとうとしている。
カストロは80過ぎたおじいちゃんになり、ゲバラは革命後再び闘争に戻り、自身の信念赴くままに生き、ボリビアで政府軍に殺害された。
ショーケースに飾られた小さな船を見たとき、数十人の働きかけがきっかけで、一国がひっくり返ってしまうことがあるのだということに驚いた。
三人で街中にあるレストランへ入った。
ただっぴろいスペースに、ぽつぽつとテーブルとイスが並べられている。
英語付のメニューからセットメニューを選び、運ばれてきた品は、パサパサの赤飯とベーコンの塊だった。
味は、、、う~~ん。
うまくもなく、まずくもなく。
それよりも、飯を食っていたときにおもむろに隣に座ってきた女たちがいた。
ピッチピチのスカートからは、パンツ丸見えである。
そんな彼女たちはしきりにコーラちょうだいよ~。エッチしようよ~。というニュアンスの言葉とゼスチャーを繰り返していた。
それを何事もないように店員のおじさんとおねえさんは眺めている。
いやいやいや、、、。レストランですよね!
夜は3人で音楽をききにバーへ繰り出した。
キューバジャズというのを初めて聴いた。
いや、ジャズ自体はじめて聴いたのだが。
そのノリのよさ。かなり心地よかった。
そのジャズバーの周りにはクラブが密集していて、若者たちが群れを成していた。
ハバナクラブを片手に。
ある日町を歩いていると、声をかけてくるリキシャー男がいた。
チャリンコタクシーのことである。
彼はなんでも日本に行ったことはないが、学校のプログラムかなにかで、カンボジアに行ったことがあるのだそうだ。
発展途上国の一般市民というのは、たいていが教育を受けられない環境にあることが多い。
しかし、そのリキシャーマンはじめ、他国ではいわゆる軽んじられるような職種の人々でも、何かしら教育を受けていたような形跡が感じられる。
現に一人当たりのGNPは1700ドルほどで、乱暴に言ってしまえば一人当たり一年17万円の生産性
という、ほかの発展途上国と変わらない数値なのに、識字率は96パーセント、乳児死亡率は6パーセントだ。
実際人民は医療費がタダらしいし、中米などの医療系の学生はキューバに留学しに来ることも多いのだという。
かといえば、突然近づいてきて、
「ガイジンなんやから金くれ。」
とストレートに、堂々と手を出してくるたわけもいる。
経済を開放し始めているという今日、どのような変化を遂げてゆくのか。
ある意味、見ものである。