宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

マチュピチュ。までの前ふり。




 クスコからマチュピチュへ。

 マチュピチュ、、、。旅立つ前にどれほどその響きに憧れたことか。
 インカ帝国に山の上に築かれた、なぞの多い遺跡。
 
 「八幡」という日本人宿に滞在していると、ともにマチュピチュへ向かおうかという日本人旅行者はすぐに集まる。
 自分の場合は男性3人、女性4人でマチュピチュへ行くことになった。

 ここからマチュピチュまでは130キロほどはあり、さまざまなルートがある。
 鉄道を使うのが一般的で、座席は45ドルほどからある。
 しかしそこは貧乏旅行者集団、最も安い方法を編み出してゆくのである。
 
 早朝に宿を出て、まずはクスコの町はずれにあるローカルバスステーションで、バンを借りた。
 12人まで乗れる大きさだったのだが、ちょうど同じようなことをもくろんでいるブラジル人女性2人と、アルゼンチン人カップルがいて、人数的にちょうど良いものになった。

 クスコの街から2時間ほどは、アスファルトの比較的きれいな道を走ってゆく。
 途中、道路わきを木の杖をつきつつ歩く日本人にすれ違った。
 同じ宿にいた20代なかばの男の人で、かつてアルゼンチン、ボリビアで同じ宿になったことがあった。
 そういえば彼は、この130キロの道を「歩いて」ゆくと言っていた。
 まさか本気だったとは、、、、。
 マチュピチュまでは2泊ほどはしないといけないだろう。
 うーーーむ。すごい。野犬も出るだろうに。
 あっしにゃあ、無理だ。
 
 車は横を高速で過ぎていったため、声をかけることはできなかった。
 無事に行って、帰ってくることを願うのみであった。
 
 山が険しくなってくると同時に、道はオフロードでガッタンガッタンになってゆく。
 車内は車酔いの空気が漂っている。
 女性陣は完全にグロッキーだったが、ブラジル人の、通称おかんと呼んでいた恰幅の良い女性だけは、おれの持ってきたブエナビスタソシアルクラブのCDでノリノリになっている。
 
 ジャングル的な道を抜け、崖にスリルを感じつつ、時に嗚咽する人々を励ましながら、夕方4時、小さな村に着いた。
 ハイドロエレクトロニカと呼ばれていたその小さな村からは、マチュピチュ村まで列車が出ている。
 パーティー7人のうち3人はその列車に駆け込んだが、体育会サッカー部出身のトモキ、大阪出身のまゆちゃん、タイ、エジプトで一緒だったチエちゃん、そして同じく体育会サッカー部だった俺。
 この4人はマチュピチュ村までの山道10キロを、線路上を歩いてスタンドバイミーしてやろうと張り切って歩き出した。
 いい年こいた大人たちが、スタンドバイミー歌いながら線路の上をほっつき歩いている。
 途中ジャングルの中でフランス人っぽいカップルがマリファナをいただいている。
 「ピースだ。」
 という。
 まあ、確かにね。マリファナやる人はこのワードが大好きである。
 日本人でもマリファナ好きは「どこどこがすっげ~ピースフルなところでさあ~、、、」なんて言ったりする。

 高さ数百メートルはあろうかという山は眼前まで迫っていて、切れ味鋭い包丁でブツ切られたヨウカンのようにきれいな断面を見せている。
 その山の頂上の、向こう側に、マチュピチュがあるはずである。
 スタンドごっこもそろそろ飽きはじめ、口数が減り、日没が訪れたころ、線路の果てに点々と明かりが見えた。
 マチュピチュ村到着だった。

 線路沿いのカフェで先に列車に乗ったはずのマナミさんがひとりでコーヒーをすすっている。
 「なにやってんすか?」
 「待ってたよ。一緒に行った二人は、あれよ。できてんのよ。」

 あ、なるほどね。
 その日はマナミさんと合流後、安宿へ泊まった。 
 次の日は早い。
 なんでも、「世界でもっともおいしいチキン」が食べられるレストランへ行き、腹を満たしてぐっすりと眠りについた。
 味のほうはまあ、うまかったが、トリにランク付けするのも難しいものだろうなと思った。

 ああ、前ふりがながい、、、。