宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

プーノからクスコへ。




 
 世界じゅうの人々が一度は訪れてみたい遺跡。
 そこは恐らくマチュピチュではないだろうか。
 
 マチュピチュへ向かうにはそれなりの行程が必要になる。
 まずはチチカカ湖のあるプーノから、マチュピチュへの拠点となる町であるクスコへ向かわなければならない。

 標高3800メートルのチチカカ湖から、3600メートルのクスコへ移動する。
 日本の標高からすると、天と天を移動するかのようだ。

 約5時間、300キロほどの旅程だ。
 ローカルバスを使えば10ドルほどで行けるのだが、25ドルの観光バスを使えば、昼食付きでプーノとクスコ間にあるインカ時代の遺跡などをめぐりつつクスコへ向かうことができる。

 せっかくなのでこの観光バスを使ってみることにした。
 ただっぴろいバスに、欧米の観光客やアルゼンチン観光客15人ほどが乗っているのみで閑散としている。
 バスが出発すると、ガイドはスペイン語となんとも訛りの強い英語でまくしたて続ける。
 バスはひとまず丘を登り続ける。
 眼下にはチチカカ湖が広がっていて、はるか遠くの水面には雲がかかっていた。

 平原を走り続け、インカ帝国よりもはるかに昔の、紀元前のころに栄えていた遺跡へ寄る。
 が、単に資料館に入っただけだ。
 
 お土産物屋が広がる敷地でバスは止まり、近くのレストランでバイキング形式の昼ご飯を食べる。
 昼からはインカ時代の巨大な宗教施設跡へ寄った。
 ここが一番印象的で、高さ12、3メートルはあろうかという石の塀に、ちょこんと屋根が乗っている。
 あたりにはかつて住居であったろう石の壁が仕切りを作って、部屋をなしていた。
 その石組みは巨大なものは3メートルほどはあり、組まれている石と石は隙間なくきっちりとはめ込まれている。
 こんな大きな石の形を、どこかで見たことがあると思っていたが、それは大阪城の堀や土台に組まれていた巨石だ。
 インカ帝国には「車」という概念が存在しなかった、と何かの本で読んだ。
 じゃあ一体巨石はどうやって運んでったというのか。
 不思議なもんだ。
 あたりの小高い丘は小さな万里の長城のようになっていて、寺院を囲むように、守るように包んでいる。
 他に建物がないせいか、このあたりの空間だけ時が止まっているかのように思えた。
 
 そのあとまわったのはスペイン植民地時代に建築された荘厳な教会だった。
 その土台となる石組みはインカ帝国時代のものだ。
 インカの寺院をぶっこわして、うえに教会をたてている。
 こういった事例がペルーには多い。
 当時のスペイン人がおこなった虐殺行為などは、いまだに語られるものも多いのだという。
 
 収奪の限りをつくしていた植民地時代、ヨーロッパの人間は、自分たち以外を人間とは認めていなかったような感がある。
 時代なのだろう、と思うのだけれど、欧米人たちとともにその教会で祈る気持ちには到底なれない。

 日本人には宗教がないといわれる。
 そうかもしれない。
 が、それでいいと思っている。
 先祖を敬ったり、地蔵を敬う気持ちはどこかには持っているだろうから。
 それでいいんだろうなと思う。

 夕方の5時過ぎにはクスコの街に到着した。
 バスを降りるとすぐにタクシーを捕まえ、日本人宿へ向かった。
 
 クスコの街は13世紀から16世紀まで栄えたインカ帝国の首都だった。
 石組みの街並みがとても素晴らしい。
 そしてスペイン人によって建て替えられた巨大な教会たちの間をぬけ、歴史感漂う石組みの道を登って、宿へ着いた。

 宿には15人ほどの日本人が泊まっていた。
 日本人はいつでも、どこでもいる。
 そこである女の子と再会した。
 彼女とはタイでの水かけ祭りをともに楽しみ、エジプトで再会してモーセゆかりのシナイ山に朝から登り、そしてここクスコで再会するという偶然に見舞われた。
 旅の面白いところである。