宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

クリスマスとデスロード。




 ラパスから北東に50キロほどゆくと、コロイコという保養地のような村がある。
 そこへ行くための山道は険しく、車幅はバス一台分で、誤って崖から滑り落ちると数百メートルも滑落するはめになる。死と隣り合わせだ。
 年間何台もバスは落ちるらしく、200人の死者を出す。

 そんな超デンジャラスな道を、チャリンコで行っちまおうというとんでもないツアーがある。
 コロイコの標高は1700メートルほどで、一旦3800メートルほどのラパスから、4700メートルほどまで車で上がり、そこからチャリで一気にその死のロードを下ってゆくという、まことに爽快なものだ。
 日本では経験できまい。

 旅行者たちの興奮気味な感想は常々うかがっていたのだが、参加に踏み切った決定的な決め手はTシャツをくれるというものだった。
 手持ちの二枚のTシャツはローテーションが早すぎて疲労を訴えている。

 宿で隣のベッドである、突っ込み担当の日本人青年、さんちゃんとともに、クリスマスイブという聖なる夜にデスロードという、色気もなんもないそのイベントに参加した。

 朝食をとっていると、チェックインしたての日本人公務員男性が飛び入り参加。
 多い日には18人というそのツアーだが、さすがクリスマスイブ。
 俺ら日本人3人と、オーストラリア人男性とペルー人女性というカップルの5人のみというこじんまりとしたものになった。
 この時期ボリビアは雨期で、青空がほとんど見えない。
 小雨が降る中をラパスのスラム街を抜け、山を越える。
 4000メートルを超え、再び高山病の恐怖におびえていたのだが、3日間移動し続けている公務員さんはやたらとイキがいい。
 あごひげ、木こりのような風貌で、ボクシング経験者である彼は、全く高山病にかからない性質なのだという。日本の公務員さんもワイルドなものだなあと思っていると、
「こういったデスロードツアーなどという企画は、日本では行政が許しませんね。」
 という極めて公務員チックなコメントをはいていた。

 最初はアスファルトの山道をひたすらに下ってゆく。
 こがなくてよいからかなり気持ち良い。時折ゆったりと黒煙をあげてうなっている大型トラックの左となりを通ってゆく。
 かなり霧が濃いが、ひんやりとした空気が気持ちいい。
 
 1時間ほど下ると、道はオフロードに差し掛かった。
 いよいよデスロードにはいる。
 ガタガタした道にハンドルを取られる。
 ふと顔をあげると、目の前には断崖絶壁が迫っている。
 チャリを停め、恐る恐る下をのぞくと、きゃああ!!と叫びたくなるほど深い谷と森が広がっている。
 落ちたら、死ぬ。ほぼ確実に。
 
 そんな道でも欧米人自己は競争心を抑えてはいられないようだ。
 毎年数人のはしゃぎすぎた欧米人が帰らぬ人となるらしい。
 旅行会社のボリビア人いわく
 「日本人は落ちてないから安心です!」

 路傍にたてられた幾つものお墓。
 それを見てもなお競争しようというのは、勇者か馬鹿だろう。死をかけてサイクリングするなんぞ、馬鹿以外の何モノでもあるまいに。気持ちがわからんでもないが。

 途中オーストラリア人男性がど派手にすっ転んだり、公務員さんのチャリがパンクしたりしたのだが、そのつど後方からついてくる車に控えているスタッフが応急処置をする。
 そこにはなぜか彼らの女房や子供が。
 ツアーを兼ねて家族旅行。うーーーむ。こういうざっくばらんなところが好き。

 すさまじいそそりを見せる崖の道を抜け、滝の裏をとおり、ひたすら下って行った。
 コロイコの街が見え、さらに下った村がゴールだった。
 
 レストランにはバイキングが用意され、シャワーを浴び、5人でビールで乾杯。
 最高にうまい。
 ともに来た子供らは濁りきったプールで楽しそうにはしゃいでいる。

 帰り道も、公務員さんは元気だった。1600メートルから4000メートルに浮上した際、激しい頭痛に見舞われ、意識が遠のく中、元気にさんちゃんに話しかけ続ける公務員さん。ああ、この人なんでこんなに元気なんやろ。
 
 12月24日夜のラパスの街は、お祭り騒ぎのようだった。
 日本の祭りそっくりの屋台がぎゅうぎゅうに並び、雑多な音楽が響き、貧しいインディヘナの子供たちが空き缶を置いて踊り、歌っている。
 街は非常に盛り上がっていたが、それら情景の中からでも常に貧困の隙間をのぞき見ることができる。
 
 デスロードを走った25日は打って変わって街は静かだった。
 店も大方閉まっている。
 前述したボリビア人のマルちゃんが言うには、敬虔なクリスチャンも多いし、クリスマスの過ごし方が日本とはずいぶん違うのだと教えてくれた。
 
 この街の持っている空気が、とても好きになりつつあった。