宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ラパス。友達の友達に会う。




 帰国してもうすぐ一週間が経とうとしている。
 このブログが中途半端なことがなんだか気持が悪い。

 遅れた夏休みの宿題を、さらに先生が忘れ去るまでほっておくような大胆な真似が出来ない自分としては、少しずつ、更新してゆきたいと思っています。
 引き続き、ちょこちょこ見てください。


 ウユニの街を後にしたところから、回想しながら、日記読み返しながら付けていく。

 ラパスへ向かう夜行バスには数種類あった。
 ラパス、ウユニ間は盗難で有名な路線。
 特にローカルバス路線はひどいらしい。
 ツーリストバスは安全らしいが260ボリ(36ドルほど)。
 ローカルバスだと8ドルほど。

 ピリピリしたオーラを全身で放ちつつ、ローカルバスに乗った。
 
 ボリビアは犯罪の多い国だと聞いていた。
 事実、イースターでともにテントで寝ていた大学生は首絞め強盗に遭っていたし、囲まれて鞄をナイフで切りつけられ、中身を取られている人もいた。
 直に被害者たちに会っているから、それはとても生々しい。

 闇を走るバス道はかなりの悪路だった。
 道路の整備率は11パーセントほどらしい。(数年前のデータ)
 つまり9割の道路は未舗装だということで、窓を閉めているのにどこからともなくものすごい砂ぼこりが車内に入ってくる。
 車内はほとんどが地元のインディヘナたちで、彼らも布で口を覆ってシートに体を沈めていた。

 夜が明けて、あたりが明るくなってくる。いつの間にか道はアスファルトに変わっていた。
 高速道路の料金所のようなところを抜けると、眼下に赤茶色の建物がびっしりと谷に張り付いているのがみえる。
 ラパスは「すり鉢状の街」と呼ばれていて、すり鉢のようになった谷の底辺は、ビルや大使館の並ぶビジネス街や、繁華街がある。
 そしてすり鉢の側面を、ぼろっぼろの家々がしがみつくように並んでいた。
 そこは地方から集まってきた人たちの貧民街なのだそうだ。
 
 ボリビアは南米1貧乏な国だ。
 アルゼンチンやチリと隣同士だが、同じ地続きでこうお変わるものか。
 国境というのは不思議な不可視線だなと思う。

 12月22日ということもあって、ラパスはクリスマスへ向けて浮足立っている。
 道路には両幅にぎっしりと屋台が並ぶ。
 チョコバナナやコーヒー、ドーナツ、お菓子、クリスマスの装飾品、クリスマスカードを売るお店、ボードのサッカーゲームには、大人も子供もお構いなく人が群がっている。
 その賑やかさは、なにか懐かしいような、昔日本の祭りで味わったような、そんなレトロな雰囲気に包まれていた。
 
 少々強行軍でラパスまで行ったのは、友達の友達であるボリビア人、マルちゃんと会うためだった。
 一泊300円の安宿に泊まった旨を伝えると、そこへ迎えに来てくれた。
 日本語をしゃべることができるその彼に、町のあちこちを案内してもらった。

 その友達から、ボリビアのことを聞いてたのは、もう8年ほど前になる。
 当時はボリビアに自分が行くことなんて、想像もしていなかった。
 こうやって、マルちゃんとその共通の友達のことを、ラパスのコーヒー屋でしゃべっているとは。
 そういった縁も面白いものである。

 マルちゃんからは、仕事のこととか、社会のこととか、いろんなことを話した。
 それだけで、随分とボリビアのことが近くに感じることができた。
 夕食を食べているときに、さらに一人、共通の友人の日系ボリビア人が加わった。
 彼は1年、日本に留学したことがあり、日本語も喋れる。
 その彼が、
 「日本にいて、理解できなかったことは、どうしてイジメで自殺するとかいう事件が多いんだろ。それから、意味のない殺人は、なんで起るんだろう。誰でもよかった、で人殺すなんて、ありえないね。」
 と言われた。
 
 なんで、こういう問題が起こるのか。
 よくわからん。
 しかし外に出てみて、いかに日本で起きていた事件の数々、ニュースを見れば、だれかが謝罪していた。
 そういったものが、少々異常に感じられるようになった。
 なんでだろうなあ。