宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ボリビアへ向かって。




ボカの試合も観たことだし、いよいよアルゼンチンを離れることになった。
当初よりも随分と長居してしまった。
肉もワインも安いし、バス移動も快適。宿も落ち着くところが多く、結果的に1ヶ月近くふらふらしてしまった。
人も親切。ラテンで陽気な白人たちだった。
物価は少々高めだが、パタゴニア大自然に熱狂的なフットボール。いうことありまへんな。

ボリビアへは、サルタという街を経由して、ラ、キアカという街から国境越えすることにした。
ラキアカ行きのバスは1日前では既に売り切れていた。とりあえずサルタまで購入する。
244ペソ。(約80ドル)うーーむ。高い。
クリスマスが近いからだろうか。
それでも距離は1500キロ近くある。移動の感覚が少しおかしくなっている。
残りの日々は上野山荘でのんびりと。
舌をぶつ切りにしたまま売っている牛タンを3ドルほどで買ってきて、網焼きにしてレモン絞って食ったり、オーナーの伊都子さん主導でみなでエンパナーダというパイを作って食ったり、まあ、食ってばかりなのだが。
おかげで顔がパンパンだ。
しかし楽しく過ごさせてもらった。

ともにボカの試合を観に行ったT君に見送ってもらい、サルタへ向かった。
夕方16時に出発し、ほとんど爆睡して過ごした。
時おり旅人と交換した小説を読んだりもする。
こういう長距離ばす移動とき、乗り物酔いしない体質というのは得だなあと感じる。

翌日の昼12時、サルタに到着。
1日だけ余裕があったので、市内観光。
といっても、特に何があったというわけでもないのだが、アンデス博物館のミイラを見たり、丘の上へロープーウェイで登ってみたり、ガイドブックのお薦めエンパナーダ屋へ行ってみたり、孤独ながら楽しんだ。

夕方には宿近くのバーでビールかましてサッカー観戦。
優勝を決めるため、ボカ、サンロレンソ、ティグレの3チームが三つ巴のリーグ戦をやっている。
カフェでも、バーでも、そのへんの売店でもテレビでサッカー観戦している。
ホントにサッカーが人々の生活の一部なのだと実感する。

夜中には宿の男の子や欧米人たちがパーティーに誘ってくれた。
みんな夜遊び大好きである。
しかしながら翌日早朝5時半に出発というスケジュールのため断り、眠った。
メンバーを見てみるとほとんどが20代前半。いつの間にか俺も30歳かあ。まあ、まだ若いけど。
翌朝起きると、みなまだクラブ帰りで、ビール瓶片手に宿をウロウロしていた。ようやりおるわ。

早朝7時のバスで、ボリビアとの国境の町、ラキアカへ向かう。
数時間過ぎたころから、バスは徐々に山を登り始める。
辺の風景は肌色の岩山。荒涼とした景色へと変わり始める。
道は世界遺産登録されている、ウマワカ渓谷へと差しかかった。
まるでバームクーヘンのように地層がくっきりと見える。
しかもその鉱石のいろが多様で面白い。
紫がかったものがあったり、黄色いものがあったり、深緑のものがあったりと、目を楽しませてくれる。
ふと道端に目をやってみると、カラフルな民族衣装にハット、髪をみつあみにした女の子が立っている。
インディヘナの少女だった。
その子の後ろに広がる村は、随分とそれまでのアルゼンチンのものとは違って、土でこねられた様な造りになっている。

昼過ぎにラキアカに着いた。
あたりは色の黒い、どちらかというとチベットとか、ネパール人に顔の近いインディヘナだらけで、一気に異国情緒が漂うようになる。
バス停から歩いて国境まで向かうのだが、すでに頭が重たい。
標高は3000メートル。徐々に高山病の症状が出始める。

小さな川をはさんだ国境は、インディヘナでごった返していた。
ここを渡るだけで、物価はアルゼンチンの何分の1にも下がる。
陸での国境越えというのはやはり不思議だ。
ほんの数メートルの移動で、物価や貨幣、人種、法律などが変わってしまうのだから。
簡単な手続きをすませ、黄熱病注射の証明であるイエローカードの提出を求められることもなく、スムーズに橋を渡ると、ボリビアに入国していた。