宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

イースター島。車を借りて、周ってみる。




 イースター島のミヒノワキャンプ。
 なーーんと日本人王国である。
 チェックイン時、15人もいた。
 日本人はなぜかイースター好きである。理由は定かではない。
 世界不思議発見とか、グラディウスファミコンの)とかの影響が色濃いんじゃあねえかと思うが。
 南米の旅はあの欧米人用のロンリープラネットを使って旅行していたのだが、確かにロンプラはかなりのスモールインフォメーションである。
 「トレッキングもカヤッキングもできないし。」みたいなのが文中にもあったし、同じキャンプの他の欧米人たちからも、「なんで日本人こんなに多い??」とかなり不思議な顔をされた。

 まあ、なんにしても同国人の人数が多いというのは楽しい。
 車をレンタルするのも、あっという間に人数が集まる。
 俺も到着翌日に車を借りるという人たちに混ぜてもらうことができた。

 昼過ぎに無理やり6人乗れる車をレンタルして、いよいよイースター島のモアイめぐりが始まる。
 ラパヌイ。別名イースター島
 ここの原住民の起源ははっきりとしていない。
 ただ、10世紀ころから、モアイの製作が始まったらしい。
 そして人口増加に伴って、モアイ製作が盛んになり、木の伐採が進み、表土が流出し、農地が荒れて、島の生産性が著しく低下。
 飢餓が起こり、16世紀ころから戦争が起こり、人口は激減した。
 18世紀にはヨーロッパ人が現れ、住民が奴隷として連れ去られたり、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘などにより、島民は絶滅寸前まで追い込まれた。
 結局イースター島に伝わっていたラパヌイ文字(ロンゴロンゴ)を読める長老のような人々まで奴隷として連れ去られたために、現在ではその古い文字を読める人間はいなくなってしまったのだそうだ。
 
 島を巡ってみても緑が少ないことにすぐ気がつく。
 荒涼とした大地に草がチラホラはえている。
 そして海岸沿いに、海に背を向けるようにモアイがある。
 しかし多くは前のめりに倒されている。
 モアイ倒し戦争の時に倒されたものらしい。特殊な力を持つといわれている目を地に伏せさせるように倒されている。

 印象的だったのは、モアイの製作されていた岩山だった。
 大小さまざまなモアイ像が乱立していて、さながらモアイの林だった。
 さらに岩山にはモアイを作りかけた跡がある。はっきりとモアイの形をした岩だ。
 途中で打ち捨てられている様が生々しい。

 その岩山を歩いて越えると、沼がある。そこに20頭程の馬の群れがいた。毛並みの美しい馬たちである。
 みな沼のほうを一心に見つめていた。
 みると子馬が沼に足を取られ、横倒しになり、息も絶え絶えとなっていた。絶命寸前である。
 どうしようもなくあたりをウロウロする馬たち。
 やがて後ろ髪を惹かれるように何度もちらちらと子馬のほうを振り返りながら、ゆっくりとその場を去っていった。

 ここから交代して俺が車を運転した。
 島の端に差し掛かかり、大きな丘が見え始めると、きれいに並ぶ15体のモアイ像が見える。
 イースター島津波が襲い、打ち倒されたモアイを、日本政府が援助して修復したのだそうだ。
 日本もこんなところでもがんばっている。