ブエノスアイレス。とりあえず上野山荘に泊まってみる。
アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスは南米のパリだそうだ。
ウルグアイのコロニアルからブエノスに向かう船内は、異常なほど冷房が効いていた。
船がでてから一時間、物思いにふけるまもなく到着した。
ここから宿探しが始まるのだが、これまでに出会ってきた旅行者がみな一様に上野山荘別館を勧めてくれるので、一路街の中心にあるそこへ向かうことにした。
ウルグアイには4日間ほど滞在したのだが、日本人おろか韓国人旅行者すら出会うことはなかった。
南米をメインに旅行している人ですら、「ウルグアイってどこ?」といわれる始末だった。
宿へ行くと運良くベッドは空いていた。一泊8ドルほどの安宿だが、上野山荘という名のとおりの日本人宿で、居間には数人の日本人旅行者がマテ茶を吸いながらNHKの衛星放送を熱心に鑑賞している。
上野山荘の本館は、世界最南端のおおきな街であるウスアイアというところにある。
戦後アルゼンチンに移民としてやってきた上野さんご夫妻が、大変な時代を乗り越えつつアルゼンチンを転々とし、最終的にウスアイアへ落ち着いた。
そしてこの最南端の街を目指してやってくる日本人旅行者のために寝床を提供したのが始まりだそうだ。
そして戦争時の話や、貴重な体験談を楽しみにウスアイアの上野山荘を訪れる人も多く、別名「上野大学」とも呼ばれ、世界最南端に住む日本人、ということで、TVなどの取材も多い。
長期で旅行している人や、南米旅行をしている人の間ではあまりに有名。何回もこの宿の名を聞いた。
ブエノスには日本旅館というこれまた有名な日本人宿があるのだが、今回は歩いていける上野山荘別館を選んだ。
ブエノスにある別館は、娘さんである伊都子さんと、ご主人のルイスさんで経営している宿だ。
伊都子さんのはじけるような話し方が気持ちいい。
挨拶もそこそこに、早速情報ノートを開く。日本人が多く集まる宿には、たいがい情報ノートというのがおいてあり、お勧めの宿、ツアー会社、メシ屋、古着屋、はては魚のさばき方まで書き込んであるお宝ノートなのだ。
そのノートや、居間で飯を食っている旅行者の人からの情報を元に、ウスアイア行きへのプランをたてた。
ブエノスアイレスから下ること3000キロ。気が遠くなる。
ひとまずはパタゴニアの入り口部分であるプエルトマドリンという街でクジラを見ることにした。
それでもウスアイアまで三分の一くらいなのだが。
出発までの2日間は街をぶらつき、宿で1リットル120円程度の安いワイン、うまい牛肉で宴会を催してのんびり過ごした。
際限なく太っていく。街のおばちゃんたちの恰幅がよいのが理解できた。