ベオグラード。爆撃ビルを眺める。
ブルガリアのソフィアから、セルビアのベオグラードへ。
早朝発のバスは暴風と風に打たれながら国境を越えた。
真冬のような風が吹く。
ヨーロッパといってもこのあたりは田舎で、風景の8割ほどはただっぴろい牧草地などの景色が続いている。
ベオグラードにつくまでの約8時間に、小さな町はいくつかあったものの、ビルディングは皆無だった。
ポツポツと赤茶色の屋根をしたかわいらしい家が立ち並び始め、都会の様相を見せ始め、バスはベオグラードに到着した。
呼応するように雨風はやみ、雲間から光が漏れてくる。
バスステーションと鉄道の駅は隣接しており、その目の前のビルの6階にはいるホステルに宿を取った。
ドミトリーで10ユーロ。(1500円)
まだまだ安い。
考えると、シングルルームなんてここ2ヶ月間泊まっていない。
旅に出る以前は、他人と同じ部屋、しかも何人もと共に寝たいとは思わなかったが、慣れなのか、単なる寂しがりやなのか、これが普通になってしまっている。
それにドミトリーの住人たちとの会話は実に面白い。
情報交換、うわさ話、とんでもない体験談など、興味惹かれるものが多いのだ。
しかし時には困ったやつもいる。
この宿の部屋で一緒になったアルバニア人のスキンヘッドのおっさんは、困ったやつだった。
夜になると、町に出て女を買いに行こうとうるさい。
寝ているところをわざわざ起こして誘ってくる。
今そういうのは興味ないとはねつけてやると、じゃあ男がいいのか?俺としようぜなんて気持ちの悪い事をぬかしてきて、体を触ってきやがる。
てめえコラ!と少し大きな声を出すと残念そうにベッドに戻っていったが、一人でまだブツブツと喋っていた。
これが女の子の一人旅だったらシリアスなことである。
逆にイスラエルでは女の子ばっかり8人ということもあった。
これは逆に目のやり場に困る。
特に欧米の人は後ろ向いて平気で裸になったりするから困ったものなのだ。
男ばっかり16人というときは体臭と足の臭いが部屋中に充満していて、玉ねぎを切った後みたいに目をしかめてしまった。
外で引っ掛けてきた女の子と事をおっぱじめるラテンなバカがいたりもした。
学生の夏休み時なんかはベッドが20代前半とか19歳とかでうまってしまって、話合わないし、オーバー30は肩身が狭くなる。うっかり「社会の説教」的なものをしたり顔で話したりすると、「ああ、、オヤジうぜえー。」という表情が見え隠れする。
どう考えても大物になりそうもない者たちでアツく将来の夢を語ったこともある。
疲れ果てて眠り、起きて、開ききらない目できたねえ部屋を眺めると、「ま、大物にはなれねえな。」と笑えてしまう。
しかし飽きることはない。
なんだかんだ、自分は寂しがりやなんだろう。
外を歩いた。
ベオグラードの駅前からゆるい坂道をあがると、大きな幹線道路にぶち当たる。
交差点の角の大きなビルは、カラテ家にバッキバキにされた瓦みたいに天井がひしゃげている。
隣のビルにはどてっぱらに大きな風穴が空いていた。
2003年だかのNATO軍の爆撃によるものだ。
戦後現在の6つの国からなっていたユーゴスラビアの内戦の傷跡は、いまでも垣間見ることができる。
爆弾の威力ってのを、いやおうなしに見せ付けられる。
あんなもん食らったら、何人死ぬのだろう。
戦争のリアルを感じさせられる。
宿のオーナーのおばさんは話し好きで、客が俺と変態アルバニア人だけだったので、よく会話をした。
セルビア人である彼女が語る民族問題は、ニュースで聞くのより、やはり重みがあった。
そして危険というイメージで、セルビアに観光客が来ないことを寂しく思っていた。
「この国は安全だよ。人も温かいし、危険なんてCNNニュースが言ってるくらいだよ。もとはみんないい人だし、別れた民族もほとんどはいい人なんだよ。ただ一部が悪いだけで、それはどこの国でも同じはずだよ。」
街自体に見所は確かに少ない。
だが、人は確かにやさしい人が多く、オスマントルコ時代の古い町並みの地域は、歩いていても飽きなかった。ドナウ川を丘の上からぼんやり眺めるのも気持ちがよかった。
新市街はしゃれた店であふれているし、まだまだこれから、という空気があふれている。
自分にとっては居心地のよい街だと感じた。