宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ダハブ。ラマダンに突入する。



 ダハブには日本人が次々と吸い込まれてくる。
 ここで再会を果たした日本人は数知れない。
 ヨルダンのホテルで、エルサレムの宿で、チェンマイのお祭りで、インドのプリーで。
 事前に示し合わせた訳ではないのに、次々と道端で再会を果たす。
 友達になったイタリア人は驚いた顔でその様子を眺めていた。

 皆との再会はうれしく、いろいろな話に花が咲いたが、同時に早めにここを抜けねえとな、と考えていた。
 気がつけば残り5ヶ月。中東の残りとヨーロッパ、南米、そしてキューバへいこうという想いがある。
 プリーの二の舞いになるわけにはいかないと思った。
 ダハブから程近い、モーセ十戒を授かったといわれているシナイ山へ登り朝日を拝むと、どんどん行ってやるかーという気持ちがわいてくる。

 次の日にはヨルダンへ戻るためのフェリーがある、ヌエバへと出発した。
 12時きっかりにフェリーの切符売り場へ駆け込んだが、すでに14時発ファーストボートは終わったという。仕方なくスローフェリー切符を買うことになった。
 料金表は、新たに赤文字で「外国人85ドル」との表記がある。
 とんでもねえ金額だが、今はこの船を選択するよりほかない。
 午後3時発といわれたフェリーは七変化して午前1時発へと変わる。
 バスで同じだった日本人の大学生の男の子と、一人旅をしている女の子の3人でシャーイを飲んで時間をつぶす。

 人の気配は少なく、飲食店の多くはシャッターを閉めており、かろうじて開いていたこの店にも客はほとんどいない。
 イスラム圏は前日から1ヶ月のラマダン(断食月)に入った。
 この期間、日が出ている間、ムスリムは飲食、タバコ、性行為などを断つ。
 このラマダンに対する人々の厳格さを知りたかった。
 おっさんたちは日の出ている間、人前で食うことは避け、トラックの裏側や階段で細々と昼食をとっていた。
 店番している青年はカウンターの奥にこっそりとお菓子を隠し、俺と目が合うとニヤリとした。
 6時ごろになるとシャッターを閉めていた店は軒並み開店し、周りのテーブルにも人が集まってくる。
 キッチンがあわただしく動き出した。
 隣のテーブルにはいつの間にか、黒や白のローブに身を包んだ母さんたち3人が腰掛けている。
 ラマダン明けは6時20分のようだ。
 いつの間にか店のテーブルは肉や米の料理で埋まっている。
 みなお預けをくらって、じっとご馳走をみつめ、両腕をももに押しやり、そのときがくるのを待ち焦がれている。
 若い男がフライングしてハンバーガーにかじりついた。
 横の母さん3人組が非難の声を上げる。
 若い男はバツの悪そうな顔をしながらも口を動かし続ける。
 そしてその様子を見ていたおっさんたちが雪崩れをうったようにかぶりつき始める。
 母さんたちは店のものを何もオーダーすることなく手持ちの弁当を平らげ、食い終わるとのしのしとフェリー乗り場のほうへ消えていった。

 フェリーは結局朝の4時に出航した。13時間遅れ。
 もはや時間という概念は通用しない。
 3時間のはずの船旅はさらに7時間かかり、昼の2時ごろにようやくヨルダンのアカバへ到着した。