カイロ。またまた宗教について考えた。
エジプト人のうち10人に一人がキリスト教徒だとは知らなかった。
彼らはエジプト独自のコプト教会に属しており、これまた歴史の古い宗派なのだ。
451年にキリストの神性をめぐって「異端」の烙印を受けてから、受難の歴史を歩んできたコプト教会。
時に激しい弾圧を受け、時にアラブ人の側についたりしてエジプトで生き延び続けた。
現在も約300万人の信者がエジプトにいる。
オールドカイロと呼ばれる地域にはコプト教会があり、その名残の後であるとか、教会があり、その時代の古さからか、半分ほど地中に埋もれてしまっている教会もある。
そこへ途切れ途切れ、エジプト人信者たちが祈りに訪れる。
一見するとムスリムとの違いはわからない。コプト語というのもあるのだそうだが、普段はアラビア語を使っているのだという。
彼らが十字架の前で祈りをささげているときに、初めてキリスト教徒なのだと気づく。
それにしてもいかにこの中東からアフリカ地域にかけてが宗教のモザイク地であるかがわかる。
東南アジアから仏教、インドのヒンドゥー教、エルサレムのユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。
神の「在り方」を除いたすべての宗教に共通することは、人間がいかに生まれてきて、どのように生きて、死んでどこへ行くのかというテーマだ。
そしてその解釈がそれぞれに違う。
宗教ときくと、多くの日本人は
「うひゃあ。なんか気持ちわる!」
みたいなアレルギーを示す(ように思う)。
しかしながら日本も立派なアミニズムの国である。地球が偉い。自然が偉い。占いやら、スピリチュアルやら、人間の想像を超えたものに対する思いは持っている。おっさんもおばはんも若いのも、ちっとは何かを信仰している。
日本人はなぜ無宗教なのか、外国人から聞かれる。
アミニズムだ、と答えることにしている。
唯一この神だけ!でなくて、いろんなものに神様がいるんでっせと。(こないだ会ったムスリムのおっさんは、いやその神もアッラーが創ったのだ!と、らちがあかなかったけど。)
仏教なんかもこういう要素が強いのではないかなんて勝手に考えるが、実際、ヨーロッパでもチベット仏教を中心に着実に仏教徒は増えているようで、いろんな神様の存在を認めてゆくというのは、どの神さんが偉いという、一見無駄な水掛け論を減らしてくれると思うのだが、、、、。
自分自身はこの先も、何かひとつの神さまを信仰するとも思えないが、こんないろんな地域の宗教をみていると、若干偏見を持っていた某学会なんかも、多少見方は変わったのではないかと思う。
そしてそういった宗教中心のライフスタイルを、なんかおもしれえなあと眺めている。不謹慎かもしれないけど。
ところで、もしカイロに行ったのなら、ぜひオールドカイロにある、コプト博物館を訪れてほしい。そこにある6世紀くらいのバイブルの写しや、特徴的な宗教画、壁画など、美しさと神聖なもんをきっと感じると思う。
おかげでバスの時間に乗り遅れた。
アレキサンドリア行きはあきらめた。
そして今は紅海、ダハブなのだ。