エルサレム。宗教の町を歩いてみる。
エルサレムはいわずと知れた宗教の聖地である。
金色の玉ねぎ形の屋根を持つ岩のドームは、イスラムの聖地。
そのすぐ隣には2000年前に破壊されたユダヤの王宮の跡地でありユダヤ教の聖地、嘆きの壁。
キリストが処刑され、墓が立つキリスト教の聖地、聖墳墓教会。
2キロ四方の城壁の中に、これだけの聖地が詰まっている。
大学三年のゼミ選考で第一希望を落とされ、あてがわれたゼミは旧約聖書というなんとも辺鄙に思える分野だった。
キリスト教徒でもあるまいし、聖書になんぞ興味はない。
先生は大学内でも指折りの厳しさ。絶望感を覚えた。
しかしながら、決して優秀でなかったとはいえ、旧約聖書で語られる神秘的な内容と歴史観に興味を覚え、まじめに卒論に取り組んだのを思い出す。
この地を舞台に、歴史は油絵のごとく何度も塗り重ねられ、その色合いと、スパイシーさは他の町の群を抜いている。
現在ここにあるイスラエルという国の存在は、歴史とパレスチナの土地に無理やりねじ込んでしまったところが他の国と少々違う。
滞在しているゲストハウスからダマスカス門をくぐる。
にぎやかなアラブ人街の市場の道が二股に分かれる。
左へ行けば嘆きの壁、岩のドームへ続く道。そしてアラブ人街。
右へ行けば聖墳墓教会のあるキリスト教徒地区、さらに真っすぐ行くとユダヤ人地区が広がり奥には最も初期キリスト教のアルメニア地区である。
紀元前11世紀にここに王国が建ってから、何度支配者が替わり、宗教が替わったのか。
金曜の夜、嘆きの壁の前に集う正装したユダヤ人たち。
口々に聖典(旧約聖書はキリスト教徒からの呼び名)の言葉を唱えている。
19時半を過ぎるとその数は膨大になり、所々で歌を歌い始める。
しばらくするとその中に仕事を終えた兵士たちも加わり、大合唱が始まる。
はるか昔に国を失ったなげきなのか、今集っている喜びなのか。
聖墳墓教会では、欧米人たちがアジアの寺院で手にしていたカメラを十字架に換え、キリストの墓にキスをする。泣いている人もいる。
イスラム第三の聖地とはいえ、岩のドームにも大勢のムスリムが集結する。
現在エルサレムではユダヤ人がパレスチナのアラブ人を支配しているかたちだ。
住む地域はもちろん、バスもアラブバス、ユダヤ人のエゲットバスと、きっちり分かれている。
エルサレムから郊外へでると、ユダヤ人入植地は巨大な壁で囲われ、そのなかにきれいで真新しいマンションが建つ。
パレスチナ人の町は隔離され、道も経済も分断されている。
デモは今でも各地で頻発しており、エルサレムのアラブ人の目つきや表情は、お世辞にも旅行者を歓迎しているようには見えない。
ここのユダヤ人とアラブ人の民間交流はどのくらいあるのだろうか。
今は平静なように見える町だが、そこらじゅうに火種がくすぶっているように思える。
写真1 岩のドーム。
写真2 嘆きの壁。
写真3 聖墳墓教会。