宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ラダック。ラマユルお祭騒ぎ。




朝9時、次々とラダックの老若男女を満載したトラックやバスがラダックへ到着する。
人々は争うように広場へ向かい、場所を確保する。
さながら日本のお花見である。

会場についたころには、ごった返しの人々と、人員整理する僧侶たちの押し合いへしあいの攻防が繰り広げられていた。
辺をうろついているとお坊さんが手を引いて外国人席へと案内してくれた。
席といっても単なる座敷なのだが、すでに20人近い欧米人がおり、ある者は数珠を片手に、ある者はサ ドゥーのような格好で始まりを待っていた。
皆、仏教のティーチングを聞きに来ているのだ。

多くのラダック人と僧侶が見守る中、お偉いのリンポチェによる説法が始まった。
外国人席には英語のアナウンスマイクがついているのだが、音が小さく聞こえない。
ラダックの人々は手を合わせ、時に目をつむり、時にバター茶をすすりながら熱心に説法に聞き入っている。

英語すら聞こえてこないため、その2時間は睡魔との戦いとなる。
説法が終わり、最後にお経を唱え始めた。
宇宙人のような裏声。何を言っているのやら、トーゼンながら全く分からん。
ふと、隣を見ると、欧米人のおばはん、おんなじお教唱えてる。
どうやら外国人席の半分ほどは、仏教徒のようだ。
お経が熱を帯び始めるころ、会場のそちらこちらから、
[キイイエエーー!!]
という声が。
睡魔と懸命に戦っている自分をよそに、幾人かはトランス状態に入った模様。
手を合わせたまま体を大きく前後に揺らしている。
リンポチェの、
[ハッ!ハッ!]
という気合とともに体をびくつかせる。

いやはやなんとも、、、。すごい光景だ。
彼らの姿を眺めていると、宗教と生活とが表裏一体であることがよく分かる。
俺みたいに[神様もうすこしだけ!!]と都合のよい時だけ出現してもらう信仰とえらい違いである。

午前が終わり、午後になると、今度はラダックの人々による歌や踊りの披露が始まった。
その衣装がまた面白い。
頭には不思議な三角お帽子かぶっている魔女みたいな女性、弓矢担いでる青年、王宮仕えの服装だろう か、高価そうな高価そうな石をふんだんに衣装に飾り付けている。
いや実に美しい。
歌や踊りはなんとも形容し難いゆっくりとした動き。みなゼンマイ仕掛けのように動き、かん高い声で歌う。
それを見つめ、拍手を送るチベット僧。
その会場の一体感のある姿からは、チベット仏教文化とラダック文化の切り離すことのできない融合が見られる。

人々の心に確かな信仰がある。
小さなストゥーパの前を通る時でも手を合わせる人がいる。
争いの少なかったこの土地で、平和的思想の仏教は躍動していた。
しかし、日本人に信仰心がなくなってしまったかというとそんなことはないと思う。
地蔵盆や地域のお祭は根強く残っているし、よほどのボケでない限り、お地蔵さんを蹴っ飛ばしたり、神社なんかで[天上天下唯我独尊]というブッダ最初の言葉を意味も分からず落書きするやつもいない。
こよい大はやりの[スピリチュアル]なんかも、日本人の根底にある、[なんか神様的なもの]を信仰している証なんじゃねえかと思う。

リンポチェが退場しようとする時、人々は我先にリンポチェを拝もうと群れをなす。
そしてうやうやしく手を合わせ、頭を垂れるのである。
それを受け止めるリンポチェもまた、えらく雰囲気のある、そして穏和な笑顔で人々を包んでいた。