宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

バラナシ。ガンジス河で平泳ぎ。




 ガンジス河の水は少しねっとりとしている。
 底はコケやヘドロがぎっしりで、歩くとこけてしまいそうになる。
 水は思っていたほど汚くはなく、目の前で水遊びをしているインド人達に引き込まれるように河に飛び込んだ。

 バラナシの朝は早く、ガンジス河に昇る朝日を拝むために早朝5時に宿を出ると、既に日が顔を出そうとしていた。
 ガートまでは歩いてすぐ。プリーからの仲間達と3人で、日の出前にボートに乗った。
 ガンジス河はそれまでの乾季のせいか、水かさが大きく目減りしていて、向こう岸がすぐに見える。ガート側にはあらゆる町の情景が詰まっているのに、対岸はあの世でも思わせるような砂地が延々と続いている。人の気配もほとんどない。
 漕ぎ出してすぐ、太陽が昇ってきた。雲が多いが、運良く雲間をすり抜けるように昇ってゆく。
 火葬場からはひっきりなしに煙が上がっていた。
 焼いている遺体のすぐ近くではおっさんが釣りをしたり、沐浴したり、子供は洗濯をしている。
 その姿をじっくりと照らしあげてゆく。
 生死の境目はきわめて曖昧だ。
 コゲ跡を野良犬があさり、近くでシャンプーしているおっさんは犬に石を投げつける。水牛たちとともに朝シャンするおっさんもいる。河沿いはすさまじい生ゴミの量で、きつい匂いが充満している。物乞いの老人達は腕を上げ続けている。物売りの子供らは朝から元気だ。
 六時には完全に日が昇った。
 朝っぱらから混沌とした町である。

 ボートからあがって、ガンガーに浸かってみた。というより泳いでみた。少し沖合いまで平泳ぎして、帰りは背泳ぎとクロールである。
 他の日本人旅行者の目を少し気にして、バタフライは封印した。代わりにインド人がやってた。
 水の中はどす黒い緑で、50センチも視界がない。
 中学の頃、大阪城のお堀で釣りを楽しんでいたときに隣の中学のヤンキー軍団に襲われた。
 タバコ代よこせ、というなんとも不健全な理由ではないか。
 ボコボコにされたが、絶対手持ちの2000円はやりたくなかったので、同じようなよどんだ色合いの堀に飛び込んで逃げた。
 その時の色そっくり。匂いも似ていた。
 底は厚いヘドロで、足がズブズブ入ってゆく。足に布がからみつく。
 ガンガーでは、子供などは焼かずに足に石をくくりつけて沈めるため、浮いてきた死体に遭遇することもあるのだという。
 この布は何の布やねん!?
 正直、少し気味が悪い。
 ガンガーから上がってみると、なんとも爽快な気分である。
 よっしゃ、これまでの罪洗い流したぞ、と。
 
 こんなこと言ってしまうとバチをくらいそうだが、小説とかで読んでたような重厚なイメージは、ありゃ言いすぎであると思う。きったねー生活臭全開の河やもん。
 しかし、見ていて全く飽きない河である。大昔からここで存在し続けて、今なおインド人だけでなく世界中の人々の磁石であり続けている。ここの魅力はなんなのか。
 この河で供養された人々は何人に及ぶのだろう。体は灰になったり、魚に突っつかれたり、カラスに食われ、犬に食われ、、、。
 ここに来ると、人は「人間様」って感じがしない。ただの動物の1種。
 宗教のことは言明避けるけど、ガンガーは、「しょせん欲張ったって、人間こうなるで。調子のんなよ。」と語りかけているように思う。
 かっこいいっす。バラナシ。ガンガー。
 
 
写真1枚目、ガンガーから見た日の出。ボート1人20ルピー。
写真2枚目、泳ぐものども。このなかに僕混じってます。
写真3枚目、朝のガート。きれいでっしゃろ。