宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

プリー。火葬場にて。




体調、崩してまだプリー。
なかなか先へ進めまへん。

2日ぶりに外へ。海岸に自転車で散歩した。
夕方になると、プリーの海岸はインド人ファミリーでごったがえす。
その海岸沿いに、火葬場がある。
外から丸見えである。というより、普通に通り道をまたぐ感じで、砂地とレンガの殺風景なとこだ。
あちこちに炭と灰がのこり、野良犬と野良牛が闊歩している。

歩いてゆくと、キャンプファイアーの木組みみたいな物のうえに、目をつむったおっちゃんが横たえられている。
おっちゃんには布がかけられていて、手は軽く胸の上で組まれている。その周りで家族と思われる40歳くらいの女性と、60過ぎくらいのおじちゃんがそれを見つめていた。
おっちゃんは何歳くらいなんやろうか。どんな仕事してたんやろうか。どんな人生やったんやろうか。
そう思う間に、一気に火がつけられ、オレンジの炎に包まれた。
火は衣をあっという間に焼いて、髪の毛を焼く。
皮膚はなかなか焼けない。肌がだんだん黒ずんでくる頃、「パン!」という音が鳴る。
皮膚の水分が膨張して、肌を膨らませ、風船の割れるような音を立てるのだ。
皮膚が真っ黒にこげる頃、肌は裂け、中から白い部分が見え始める。
それが広がってゆき、再び火で黒くなると、そこから骨が見え始める。
実際にはその部分は細い腕だけで、火のまわりの遅い足はきれいに残っていたけれど。

人が焼かれる。というところを初めて真近くから見た。大きな衝撃、は特に受けなかったが、肉体が焼かれて、まさしく天に昇ってゆく姿は、なんだかとても潔く思える。
焼き終わった箇所では、野良犬たちが骨なのか、肉片なのかを灰の中から探し出し、口へ運んでいる。野良ウシたちは興味なさそうに眺めている。
日本では、日常から隔離されているように感じる死が、ここでは日常生活の一部として根付いている。それはヒンドゥーや仏教にある「輪廻」なのか、インドでは生死の境があいまいなのか。

激しい炎に包まれて、肉体は煙と共に空へとんでゆく。40分ほど座り込んで、じっと眺め続けた。横ではさっき見かけた家族らしき人たちが、うつろな目で話をしていた。
死はどこにでも転がってる。日本にいても、外国にいても、死ぬときゃ死ぬ。

精一杯、楽しく生きてかなきゃな。

焼かれゆくおっちゃんをみて思う。


写真1枚目。プリー海岸。この右手側に火葬場が。どうしてもここの写真は撮れませんでした。
写真2枚目。陽気なジャパーニー達。手動のメリーゴーランド。
写真3枚目。海岸の売り子達。カメラ大好き。