宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

ハイダラーバード、プリー。インド諸事情。




まるで、中東の世界に迷い込んできたようだ。
 モスクからは祈りの唄が流れ、独特の黒装束にみを包んだ女性たち、頭に小さな白い帽子をかぶった男達、、、。
 旧市街の砂の色をした大きな城壁の周りにはたくさんの宝石屋が軒を連ねていた。
 とりあえず、有名なチャーチミナールというタバコのパッケージにもなっているという門のような建築を見るが、うーーん。とりたてて引き立つものはなかった。物乞いの人の数が多いので、ひとまずその場尾離れた。
 その隣にある大きなモスクへ入ったとき、ちょっとした再会があった。ヨシフミ君、28歳。長い髪に焼けた肌、口に蓄えられたヒゲが特徴。先日のアジャンターツアーのバスの中にいた8人の日本人の1人だ。
「ああ、ちーっす。」
 彼は特に驚くともなく返事をして、しばらくモスクを眺めながら色んな話をした。彼はエジプトに留学したことがあり、アラビア語もでき、イスラム教について勉強したことがあるという。
 イスラム教というと、どんなイメージを持つだろうか?テロとか、戒律が厳しいとか?
 しかし彼からすると、解釈は少し違う。酒が飲めなかったり、戒律が厳しいのは、つまり節操のある生活を心がけなさいよということであり、厳しい環境で生き抜くための知恵が、この宗教にはたくさんあるそうだ。
 例えば、ブタは不浄の動物であるといわれているのも、そもそもブタは水を大量に消費する。砂漠の人々にとってそれは命に関わることだろう。ほかにも理由があるのであろうが、ブタを飼ってはいけないという理由付けは、その土地の人々にとっては利にかなったものだったのであろう。
 いつの間にか子供らに囲まれ、礼拝の時間になり、ともに右手を頭の上にのせた。
 疲れてきたので手を下げようとすると、子供らはそれを許してはくれない。すぐに「はよ手あげろ!」というゼスチャーをするのだ。
 大昔にイスラム教徒がこの土地を支配して以来、この荒涼とした土地にしっかり根付いている。厳しい環境におかれていた民だからこそ、厳しい戒律を持った宗教が育つ。ヨシフミ君の言った言葉は真実味があった。その後彼と飯を食い、別れた。その日の夕方のバスで、さらに南のチェンナイへ向かうのだという。休むまもなく移動移動である。旅行者はこのようにガツガツ移動しまくるタイプと、じっくり、ゆっくり町を堪能しながら進んでゆくタイプに分かれる。僕は前者のほうですが。

 滞在は3日間であったが、多様性のある町だった。北部のスイカンダラーバード周辺にはキリスト教徒が多く、教会をいくつか見かけた。スラムのような街並みに露天が立ち並び、人でごったがえしている。またビルも多く、なかなか経済の潤っているところなのか。
 外国人がめずらしいのか、インド人はめっちゃ見てくる。ためらいがない。一直線に目玉を向けてくるのだ。アウランガーバードではあいさつを返すのが大変なくらい、みんなハローハローと言ってきた。興味があるのかなんなのか。
 そんな好奇な目線にもすっかり最近は慣れてきた。
 習慣もなじんできた。
 メシは右手で食い、左手で用を足す。この紙を使わない便所というのはラオスあたりからずっとそうだ。最初は少し抵抗があったが、いまではウォシュレットよりも心地が良い。日本に帰ってからが心配です。
 とりあえず飛び込んでゆけば、意外なほど優しく接してくれる。もちろんぼったくって来る奴は多いけど、大声で一喝すれば引き下がってくれる。
 今のところは良好な関係が築けている。
 
 切符を取るためにカウンターへ並ぶ。10くらいある窓口ではインド人がずらりと並んでいる。ああー。また押し合いへし合いせないかんのかと思ってふと隣を見てみるとガラガラの窓口が。
 見ると、「クレジットカード専用」。そういえばクレジットカードを全然使っていなかったのを思い出し、並ぶのも面倒だったのでカードの窓口へ行った。狭い窓口に、三人も四人も首を突っ込んで我先にと殺到するのだ。普段のんびりしているくせに、この時は恐ろしいほど機敏になる。僕も大きなガタイを使ってしっかりとガードして窓口へ並ぶのだ。
 カード決済ならこんな苦労しないで済む!気分よく、ランクをエアコンつきの寝台列車にした。スイカンダラーバードからブバネーシュワル。1200キロ、17時間の旅。通常の寝台席370ルピーのところ、990ルピーである。ちょっと奮発だがたまには快適に移動したかったのだ。
 やはり3倍の値段相応に、乗っている人々もまた、きれいな服装の人が多く、裕福な人が多かった。英語で色々話しかけてくれ、暇をつぶしてくれた。
 車両は寒すぎるくらい冷房が効いていて、真昼間でもグーすか寝入ることが可能。これはいい。高いけど。
 ブバネーシュワルについた時点では、この町に留まるか、プリーというビーチのある小さな町まで行くのか決めあぐねていた。そこで、降りたホームが西側ならブバネーシュワルで留まり、東側ならプリーへ行こうと決めた。結果は東。プリーへ直行することにした。
 その時点で朝8時。プリーへは1時間半くらいで行ける。駅を出るとすぐに、客引きのおっさんらが群がってくる。そのなかで正面から、「俺の愛車にのらないか」的に自信まんまんの真っ黒に焼けた半パンのおっさんが。そこにはオンボロのチャリンコにくくり付けられた荷台。インドに入って初のリキシャーはこのおっさんに決まった。
 壮年のおっさんはゼイゼイとチャリをこぐ。プリー行きのバス停まで15分。着いたのはいいが、
「えっ!?これに乗るの?」
 ってぐらい、インド人ですしずめのバス。
 一本目のバスはすがりつく人を振り落として出発した。
 二本目が滑り込んでくる。むらがる人々。そこへさっきのリキシャーのおっさんが激流を登るシャケのようにバスの中へ乗り込んでゆく。そしてしきりに俺に「こっちへこい!!」と大声を上げている。おっさんの厚意を無駄には出来ん!俺もその波に飲み込まれ、おっさんが取っていてくれた席へ座った。といっても運転席の隣。
「グッドラック!」
 見送るおっさん、、、まぶしいね。
 
 到着後すぐに鉄道駅でバラナシ行きのチケットを買った。
 いよいよ、バラナシが、、、。30歳の誕生日にバラナシでガンガーを拝む。
 そんなどうでもいいようなハクをつけるために、旅路を急ぐ。