宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

山と生きる人。

 二日酔いだった。うーーきもちわりい。あの強烈な道を、再び、しかももう来ることあるまいと思った次の日に来ちゃうとは。ピックアップトラックの席には大量の食料と二匹の犬、若いカレン族ガイド3人、最初に家に泊めてもらったカレンのおっちゃん1人。前の席にはプーさん、ティーさん、サックさんが。みな飲みすぎ。それでもビールをプシュッとやちゃう。荷台で揺られつつ、そのときほど旅の突発性を感じたことはなかった。
 これはいわゆる、トレッキングのコース、村のリサーチである。そのガイドだけの旅に、なんと俺も混ぜてもらえる。しかもタダ。(あ、念のため、こんなレアなケースはまれだと思います。運が良かった。ので、プーエコトレッキングさんにタダでどうこうっていいうクレームしないでね。)こんな幸運ありますか!しかもツーリストが行った事のない村を巡って行くのである。ミーハーにも興奮しちまった。
 まず車はこないだ訪れた村へ入った。こないだのおっちゃん、おばちゃんがいる。みんなやや神妙な面持ちで村の話し合いへ参加しているようだった。結構長いこと待つも、なかなか皆現れない。子供らと戯れていると帰ってきた。ちょっとした問題があったようだった。それがなんだったのかは、さすがに聞けなかった。おそらくツアーのことだろう。いろんな物事を、村人達との話し合いで決めてゆくといってたことは本当だ。プーさんの目にはうっすら涙がみえた。何があったのかはわからない。ただ皆真剣なのはわかった。「テイクイットイージー!」皆そういって俺を気遣ってくれた。

その後お世話になっているところへあいさつ回り。ティーさんいわく、新年で今日は若い世代が古い世代を敬う、とてもとても大切な日なのだそう。花びらの入った聖水を用意してそれを頭にかける。若い世代のプーさん、ティーさん、サックさんがうやうやしくそれを受ける。いつもはふざけているティーさん。しかし年長者の前では、きちんとした態度と表情になる。伝統を感じた。
 
 そういった諸々の用事を済ませ、車はオフロードを走りまくる。日が落ちて、暗くなっても強烈な山道を走り続けた。そして21時、ガイドのサックさんの家に着いた。
 サックさんはクリスチャンで、上は23歳になる娘さんがいる。家には奥さんと15歳くらいの娘さん、12歳くらいの息子さんが出迎えてくれた。彼はかなり熱い。特に教育の話となると止まらないくらいだった。
 サックさんの村も、ほとんどツーリストが訪れることはないという。30世帯ほどの村に見えた。そのキッチンの暖炉にはカレン族の伝統である石が3つ置かれていた。アニミズムの関連であろう。同じカレン族のティーさんですら、そのスタイルを見たことがなかったのだという。「よく見ておけよ!」ティーさんは俺に念を押した。
 そしてご飯のときには大きな皿をみんなで囲んで、クリスチャンの祈りで手をつけ始める。その光景がなんだか不思議だった。周りは仏教の国ばかりなのに、この山間の村々ではしっかりと地元の伝統とキリスト教が結びついている。どういう経緯をたどって来たのだろうか。

 みなで雑魚寝をして、次の日の鶏の声で目を覚ます。朝ごはんの後、サックさんの奥さんのご両親のもとへ挨拶へゆくという。俺もついていかせてもらい、そこで俺も同じように、若年者が年配者を敬う儀式に参加した。お供え物を持ってきて、聖水と水を用意する。まず三回、おばあさんの手に聖水を少しずつかける。その後水を同じように三回かける。そのあいだもふたりの年配者はなにか念仏のようなものを唱えていた。
 正直、こんな大切なことに参加してよかったのだろうかと思うくらい、厳かな雰囲気で、質素に行われた。ほんの15分くらいのものである。しかし暖炉の火や窓から差し込む光、手作りの米ウイスキーのにおい、、、そういったものがさらにその伝統性を浮き彫りにしているように感じた。そしてこの儀式に参加させもらってほんとうにありがたい気持ちになった。感謝した。
 サックさんもみなが家を訪れてくれるのがうれしかったらしく、ニコニコして「ベリーハッピー」と繰り返していた。
 地元の人がゆくらしい滝まで散歩した後、荷物をまとめ、いよいよトレッキングへ出発だ。パーティーは7人。みなトレッキングのプロや、地元の村人。道案内をしてくれるようだ。気合が入る。
 出発して、道らしい道を通ったのは、最初の1時間のみであった。あとは凄まじいばかりの落差のある道をとおり、草の生い茂る道をなたで切り開きながら進んでゆく。途中蛇の毒に効く木をサックさんが発見した。ティーさんがいうには、その木もすでに奥地まで行かないとないものらしい。本当にローカルなところへ来てしまった。
 山のど真ん中で休憩して、米と魚を手づかみで食い、川の水を飲んで先へ進む。途中小さな集落を通り抜ける。まったく他人のはずなのに、なぜかみな家に上がりこんで休憩する。家の人や子供も、特別なことではなさそうな感じ。
 凄まじい距離を歩き倒す。何せみなプロである。俺はついてゆくのがやっとなのだ。足をとられ、木のとげに顔をゆがめた。しかも昼間は40度近い気温。意識が朦朧とする。そんなとき、チェンマイのゲストハウスの事を思い出した。ああ、俺は再び山に上って、こんなしんどいことやって、なにやっとるんやろう。ゲストハウスにいたら、今頃のんびりやってるやろうな、、、。と思った。そのとき、日本のことを想わず、チェンマイの小さなゲストハウスのことを考えていた。今思えば、それは旅が日常になってきているんじゃないかと思った。日本にいるとき思った日常なんて、どこでも代替することができる。非日常的なことをすることを「日常」にすることもできるんやなあ。漠然といろんなことが頭を駆け巡り、上り坂を登りきって見た景色にまた感嘆のため息をもらし、次の一歩を踏み出した。
 ある村の近くでは、凄まじい木を見た。見たこともないような太い幹、そこから千手観音のように太い枝が伸び、さらに小ぶりな木々を吸収して、ぶら下がるつららのような状態にあった。樹齢ははたして何百年なのだろうか。サックさんが、「この木は地元の人々に敬われ、尊敬されている大切な木だよ。」と教えてくれた。俺自身こんな木を見たことがなく、ただオウム返しで「すげー」を連発するだけだった。そのような木や山をいていると、人々がアニミズム信仰をしていたのも頷けた。確かにそれは、神聖性があったのだ。

 いったいいくつ山を越えただろう。もはや限界に近づいた18時頃、山が開けて集落が見えた。今日はここで泊まるようだ。プーさんの古い友達らしい、感じの良い家族が迎えてくれた。