宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

プノンペン、キリングフィールドにて想う。




カンボジアの首都、プノンペンへきております。

国境を越えたばかりのころは貧困ばかりが目に付いたが、プノンペンは物で溢れている。マーケットや市場も大きいし、デパートもある。そして活気がある。
バイクタクシーのオッサンも元気ハツラツ。カンボジアは治安はあんまり良くないのかもしれないのだけれども、明るい人が多い。街もそれ程騒がしくなく、デパートの上から眺めた風景は、青空の元に赤茶色の屋根が小気味よく並んで、ところどころに大きな寺院の屋根と緑が混在している。きれい。
そんな平穏そうなこの街が、1975年から1979年までポル・ポト政権のもと恐怖が覆っていたとは。
プノンペン郊外にあるキリングフィールドとトウールスレン博物館をまわった。バイタクで13ドル。高いのか安いのか、、、。2004年のガイドには市内のバイタクは1500から2000リエル(0、3から0、5ドル)になっていて、いろいろチャレンジしたけど、どううやっても1ドル(4000リエル)以下にならない。最近の物価高はガソリンをも直撃。1リッター2000リエル位だったのが、今では5000リエル。ちょっとの間に2倍以上に膨れ上がったらしい。実際ガソリンを入れる場面に何ども遭遇したから、これはウソではないようだ。ガソリン価格は日本とおんなじやね。
それにしても蛇足だが、俺は他の旅行者と比べて弱冠高値を払っているようだ。いままで価格を比べて俺が安かった試しがねえ。押しに弱い俺。押しが弱い俺。つい[1ドル位、まあええよ。]とかとなってしまうのだ。だから日本人は高値をふっかけられんだよ!]というおしかりの言葉をもらいそう。まあええやん!地域貢献しとんねん!と負惜しむ毎日。

キリングフィールドは郊外15キロほど南へゆく。周りはのどかな田園風景。日差しは刺すように痛い。そんな田園風景のなかにポツンと白い慰霊塔がつっ立っている。そこが、何万人も殺されて埋められたキリングフィールド。ポル・ポトが粛清の名の元に虐殺行為を行った。キリングフィールドと名のつくところはカンボジア各地に点在しており、その行為が全土で行われたことを物語っている。
資料はあれこれ読んでみたが、いまいちこの人物の実像がつかめない。まあ、ほとんど英語の資料やからってのがあるけど。それでも、なぜ都市住民を強制的に農業に従事させたり、約120万人という途方もない人数の国民を虐殺したのか。理解できない。この虐殺の影響を受けていないカンボジア人は、おそらくいないんじゃないだろうか。
慰霊塔には無数の遺骨が納められており、なかには遺品も混じっている。口の部分には歯がしっかりと残っていて、年齢を見ると10ー20歳代の骸骨だった。いまでも発掘は行われてるらしく、地元の子供らがはねまわる横でスコップを手に地面を掘り続ける男たちがいた。野原のあちこちに大きな穴が開いていて、発掘した跡地であることを思わせる。トラックに詰込まれた住人たちは、ここで簡単に、事務的に殺されていったに違いない。その時の光景はどんなものだったのか。次に死を待つ者に、どんな風景が見えていたのか。叫ぶ人はいたのだろうか。命乞いをする人もいたのだろうか。想像できないことが、そこではあった。
次に博物館をまわる。ここはポル・ポト以前は高校で、ポル・ポト政権時に刑務所として使われた。反革命分子とみられたものは家族ともどもここへ収容され。拷問され、殺害された。ガイドブックによると記録だけでも約2万人が収容され、生還できたのはわずかに6人だったそうだ。
校舎は4つに別れていて 、最初に拷問室に入った。無機質な部屋に鉄格子の窓、鉄製のベッド、そして錆び切った拷問道具。横には実際の人が拷問を受けているパネルが掛けてあり、そのえげつなさに鳥肌が立つ。
次の校舎の教室には大量の顔写真が張り付けられている。ここで収容された人々が撮られた写真だ。女、子供、おじいちゃん、おばあちゃん、おやじ、おかん、あらゆる人がそこにいた。そしてその狭い教室にぎゅっと 詰込まれていたのだ。人々の目が印象的だった。なにが起こるのか分からないような顔、すでに絶望しきった顔などさまざまで、どの写真の顔も、数日後にはこの世からなくなってしまったもの。人の命はこんなにもあっさりなくなってしまうものなのか。
旅にでるきっかけは、死を意識するようになったのも一つの理由だった。この10年でいくつかの死に直面して、やはり人は死ぬ。そのまえに自分の見たことのない世界を見てみたい。定年してから?それまで生きてる保障もない。だったら、30手前の今行こう、と思った。
新聞やテレビを通じて虐殺があったことは知っていた。でもこの地に来て、確かにみんな普通に生活していたし、家庭があったんだということを思い知った。そしてそれはあまりに理不尽にぶち壊されたのだ。ぶち壊したのもまた人間なのだ。そんな両極端を肌で感じた。そのフィールドに立って、本当に実感したことだ。人が古来から宗教を拠り所にしていた理由が最近よく分かる。つまり、人間よりはるかに偉い存在を置くことで、人間の良心を保ってきたということ。
そしてカンボジアは復興の真っ最中だ。孤児も多く、銃もめちゃ多いらしい。問題だらけだが、明るい子供らをみると、この国は良くなっていくかもしれない、いや、なってほしいもんだと思った。