宿屋の店主、日々のつぶやき。

旅好きが高じて宿を開業、自由な時間を求めて今日ももがいております。

暑いよ、ラオスさん

えーーこちらの気温はだいたい32、3度でしょうか。汗がとまんねー。ノープランの俺はチャリンコを借りてサバナケットの街を駆け回る。朝飯を食うためにレストランに入り、ロンリープラネットを広げていると、スタイリッシュなアラブ系のカップルに声をかけられた。俺のロンリープラネットは新しいものだったので(全編オールコピー。5ドルやねんけどね)、ちょっと見せてほしいと。彼らは30歳くらいのマレーシア人で、会社もやめ、チャリンコで1年間旅を続けているそうだ。いろんな人がいるよ、ホント。
うなるほど暑い中をサイクリングしまくる。メコン河に足をつっこみ、バスの時刻を確認し、アスファルトを抜けて土の道を走る。ヤシの木が生い茂っているような道や村を走る。大きな市場ではあらゆる物が揃っていて、市場特有の生臭いにおいがただよう。
そんなことが、なんか楽しい。この国はとてもゆっくりしている。飯を食ってれば物珍しそうに人懐っこい笑顔を浮かべて話しかけてくる。そう、笑顔がいい。犬までやさしそうなのが多い(気のせいかもしれんけど)。昼間は暑いせいか、あまりせわしくないが 、夜になるとバイクふたり乗りした若もんたちでにぎやかになる。

旅を初めてまもなく1ヶ月だが、日常っていうのは、なんなのかと考えることがある。会社に行って、働いて、家に帰ってメシ食って寝る。それが日常だとして、非日常とはなんなのか。
旅することを日常にしてみた時、日本にいた時とそんなにかわんねーーな。と思うことがある。旅をするってのは、全て主体的に行ってゆかなくてはならない。つまりめんどくさい。言葉の通じないところで、切符を買うにしても、水を買うのにしても、道を聞くのにも、宿を探すのも、当たり前やけど全部自分。でもね、それがたまんなくおもしれえ。明日、南へゆくのか北へゆくのか、次の国へゆくのか日本帰んのか。すべては自分が握ってるって、なんておもろいんやろう。

日本にいても、そのへんは自由だ。いろんな要因を考えて、可能性を否定してしまうけど、実は自由なんよな。そんなことを,あまりの暑さに逃げ込んだネットカフェからおもう。